著者
瀧 大知
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.123-139, 2016-03-11

近年、日本では近隣諸国との歴史認識問題や領土問題に端を発した排外主義的な傾向が強まり、路上やインターネット上で、おもに在日コリアンをターゲットにしたヘイト・スピーチが行われ、大きな社会問題となっている。このような事態に対してこれまで様々な言説が生まれてきた。しかし、こうした言説では、ヘイト・スピーチが持つ「暴力性」を問題視することはなく、むしろヘイト・スピーチをする人々が注目されるばかりで、被害者の姿がほとんど見えなくなっているという問題が見られる。こうした言説を批判的に検討することにより、本稿ではこのような被害者不在の言説が結果として、ヘイト・スピーチを黙認してきた圧倒的多数の無関心層と同様の役割を果たしてきてしまったことを明らかにする。
著者
ムンクジルガラ
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.3, pp.117-135, 2010-03

本稿の課題は、アイヌの海外諸民族との交流が、彼らの民族としての復権運動において大きな意味を持つことを文献資料及び聞き取り調査などに基づいて明らかにすることである。アイヌの民族復権運動は、長年日本政府によって強いられてきた「同化」政策や一般の人々の間にある差別や偏見のなかで他者からも独自の民族とみなされないだけではなく、アイヌ自らも民族として名乗れなかったなど、紆余曲折をたどった。70年代に実現したアイヌ中国訪問は、アイヌにとって、初の海外交流になっただけではなく、中国の少数民族との交流は「輝かしいもの」として中国の民族政策のあり様に触れる機会となった。中国の少数民族との交流の実現は、アイヌの民族としての復権運動の大きな契機となった。アイヌは、中国の民族政策に倣って日本における少数民族としての諸権利を求める運動を展開させていこうとした。中国訪問に始まる世界の先住・少数民族との積極的な交流は、アイヌの民族の権利回復と結びついていったのである。
著者
瀧 大知
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.133-150, 2019-03-08

本稿は警察によるヘイトデモへの対応を分析し、その課題を明らかにすることを目的としている。そのために、筆者によるフィールド調査のデータをもとに、警察とカウンター行動との関係に注目した。分析の結果、本稿では以下の点を明らかにした。まず、警察の目的はヘイト・スピーチを止めることではなく、デモを安全に終わらせようとするのみであること。つぎにそのような姿勢の警察にとって、カウンターはデモ隊と衝突を起こす危険性のある「挑発行為」としか捉えられておらず、一般通行人にとっての「迷惑」行動とされていること。その背景には日本に人種差別を規制する法律がないことを指摘した。そのうえで「ヘイトスピーチ解消法」の課題を提示している。
著者
ムンクジルガラ
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.117-135, 2010-03

本稿の課題は、アイヌの海外諸民族との交流が、彼らの民族としての復権運動において大きな意味を持つことを文献資料及び聞き取り調査などに基づいて明らかにすることである。アイヌの民族復権運動は、長年日本政府によって強いられてきた「同化」政策や一般の人々の間にある差別や偏見のなかで他者からも独自の民族とみなされないだけではなく、アイヌ自らも民族として名乗れなかったなど、紆余曲折をたどった。70年代に実現したアイヌ中国訪問は、アイヌにとって、初の海外交流になっただけではなく、中国の少数民族との交流は「輝かしいもの」として中国の民族政策のあり様に触れる機会となった。中国の少数民族との交流の実現は、アイヌの民族としての復権運動の大きな契機となった。アイヌは、中国の民族政策に倣って日本における少数民族としての諸権利を求める運動を展開させていこうとした。中国訪問に始まる世界の先住・少数民族との積極的な交流は、アイヌの民族の権利回復と結びついていったのである。
著者
馬場 淳
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.10, pp.179-194, 2017-03

男性のホモソーシャリティ(同性間の社会的連帯)は、ミソジニーやホモフォビアと並んで、異性愛主義的男性中心社会の構成要素である。アダルトビデオ(以下、AV)の制作現場と視聴空間には、現代日本社会において抑制され、解体に向かうホモソーシャリティが依然として看取される。本論の目的は、ぶっかけというジャンルのAVを具体的な素材に、本来的に異なるこの二つのホモソーシャルな空間がいかに緊密かつ相互浸透的な関係にあるのかを記述・分析することである。とくに本論は、作品のドキュメンタリー的性格から映し出された大量の精液が制作現場のホモソーシャリティを視聴空間に運ぶ越境的局面に注目する。筆者は物質的存在(モノ)が社会的行為の遂行者(エージェント)となりうる可能性を論じた社会人類学者A・ジェルの議論を援用して、そうした精液の行為主体性(エージェンシー)を理論的に考察する。
著者
高坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.79-89, 2011-03

本研究の目的は、西平(1981)の"恋と愛の二元的一元性"論を参考に、恋の状態と愛の状態とは質的に異なる状態であり、恋愛とは恋と愛を両極とした一次元上の中間の状態であり、両者の特徴をあわせもった状態である捉え、先行文献をもとに青年の恋愛関係を図示するモデルを作成することであった。先行文献をまとめた結果、恋には、"相対性"、"所有性"、"埋没性"という特徴があり、愛には"絶対性"、"開放性"、"飛躍性"という特徴があること、相対性と絶対性、所有性と開放性、埋没性と飛躍性はそれぞれ対応する特徴であることが考えられ、これらをまとめた恋愛様相モデルが構築された。今後は恋愛様相モデルを実証的に検討する必要があると考えられた。
著者
馬場 淳
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.179-194, 2017-03-10

男性のホモソーシャリティ(同性間の社会的連帯)は、ミソジニーやホモフォビアと並んで、異性愛主義的男性中心社会の構成要素である。アダルトビデオ(以下、AV)の制作現場と視聴空間には、現代日本社会において抑制され、解体に向かうホモソーシャリティが依然として看取される。本論の目的は、ぶっかけというジャンルのAVを具体的な素材に、本来的に異なるこの二つのホモソーシャルな空間がいかに緊密かつ相互浸透的な関係にあるのかを記述・分析することである。とくに本論は、作品のドキュメンタリー的性格から映し出された大量の精液が制作現場のホモソーシャリティを視聴空間に運ぶ越境的局面に注目する。筆者は物質的存在(モノ)が社会的行為の遂行者(エージェント)となりうる可能性を論じた社会人類学者A・ジェルの議論を援用して、そうした精液の行為主体性(エージェンシー)を理論的に考察する。
著者
杉浦 郁子
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.8, pp.7-26, 2015-03

近代以降の日本社会は「女同士の親密な関係」「女を愛する女」に対してどのような意味を与えてきたのだろうか。「女性同性愛」言説の変容をたどる研究成果を「性欲」の視点から整理することが本論文の目的である。ここで「性欲」の視点とは、大正期に定着してから現在まで様々な仕方で構築されてきた「性欲」という領域が、女性同性愛に関する言説をどのように枠づけてきたのか、反対に、女性同性愛に関する言説が「性欲」をどのように枠づけてきたのか、という視点のことをいう。したがって、本論文が注目するのは、「性欲」が女同士の親密性をめぐる経験や理解の仕方に関わっていることを示し得ているような研究成果である。この「性欲」の視点を軸にして、「女性同性愛」言説をめぐる歴史研究の現在における到達点と今後の課題を明らかにしたい。
著者
高坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.195-204, 2017-03-10

本研究の目的は、ライトノベルの男性登場人物のパーソナリティと女性登場人物のパーソナリティとの組み合わせを検討することであった。大学生59名に対して、ライトノベル10作品から男性登場人物・女性登場人物各1 名を選び作成した人物紹介文を提示し、TIPI-Jを用いて、パーソナリティ評定を求めた。相関分析の結果、ほとんどの作品において、男性登場人物のパーソナリティと女性登場人物のパーソナリティとの間にはあまり関連がみられなかった。また、クラスター分析によって登場人物を4つのタイプに分け、作品ごとにクラスターの組み合わせを検討したところ、男女が同じクラスターである組み合わせは少なく、一方が「安定適応型」である組み合わせがほとんどであった。この結果は、久米(2009)の指摘とも合致していると考えられた。
著者
髙坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.9, pp.5-17, 2016-03

本研究の目的は、2004年4月から2013年3月までに刊行された恋愛に関する学会誌論文を概観することで、現在の日本における心理学的恋愛研究の動向と課題を明らかにすることである。検討対象となった31本すべてが質問紙法を採用しており、調査手法の偏りが明確になった。また31本のうち28本は、立脇・松井・比嘉(2005)が示した恋愛研究の4つの方向に該当していることから、方向によって進捗状況は異なるが、それぞれが着実に知見を積み重ねていることも示された。そのうえで、調査手法や調査対象者の拡充、無批判に欧米の理論や知見を取り入れ、日本での適用を確認するだけではなく、日本特有の恋愛現象・行動に着目した研究を行うこと、セクシャルマイノリティの認知・理解が広がるなか、恋人の定義を明確にすること、などの課題や展望が指摘された。
著者
髙坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.8, pp.123-136, 2015-03

本研究の目的は、少女向けコミック誌および女性向けコミック誌における恋愛行動・性行動の描写数をもとに、それぞれの特徴を比較し、また、前後の文脈をもとにキス場面の内容分析を行い、少女向けコミック誌および女性向けコミック誌における恋愛像、あるいは男性像と女性像の描かれ方を明らかにすることである。それぞれの恋愛行動・性行動の描写数から、少女向けコミック誌は恋愛関係が構築されるまでを描く傾向にあるが、女性向けコミック誌は関係構築以降の口論や別れまで描いている、告白や別れの場面では男性が主導権をもっている、などの特徴が見出された。また、キス場面の内容分析から、恋愛関係・夫婦関係以外でのキスも半数程度描かれており、男性が一方的に女性にキスをする場面が多数みられることも確認された。今後は、読者である子どもや青年が描写されている恋愛行動・性行動をどのように受け止め、感じとっているかを明らかにする必要があることが示唆された。
著者
井上 加勇
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.159-179, 2008-03

人は自分が帰属するための物語を求め続け、かつ、それを維持し続けるために大きな犠牲を払い続ける。戦いを題材とした漫画は、そのような物語を消費者に与える装置としての役割を果たしてきた。格闘漫画はそのような戦いを題材とした漫画の極致であると言える。格闘漫画は強さの追求の中で生まれた暗黙の法を男同士の絆の実践とみなすことによって、暗黙の法に基づく価値観の絶対性を主張する。格闘漫画は男同士の絆の体現者を最強と同一化することで、主人公を戦いの破滅性から回避させると同時に、暗黙の法と対立する価値観の持ち主を弱者として排除した。かくして漫画の中の戦いは、同じ価値観を持った男同士の濃密なコミュニケーションとなったのである。このような絆としての戦いは、他者との絆を渇望する現代人の欲求に応えるものであり、読者にアイデンティティを与える物語の役割を果たすものであると言える。しかし、その結果、戦いは戦うこと自体を自己目的化していき、同質な者だけで構成された小さなコミュニティがそのまま世界と同一視されることになるのである。
著者
浅井 幸子 玉城 久美子 望月 一枝
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.4, pp.21-36, 2011-03

本稿の主題は、戦後日本の小中学校における女性教師の脱性別化の過程を解明し、その歴史的な意味を考察することにある。女性教師は1950年代まで女性的な特質と役割を付与されていたが、1970年代になるとそのような性別特性論に基づく性別役割分担は否定されるようになる。本稿では1960年代後半から70年代前半の「女教師問題」の議論に着目してその過程を記述し、母性が強調されなくなったこと、「婦人教師」を論じる、すなわち女性教師をその女性性において問題化することが躊躇されるようになったことを明らかにした。その女性教師の脱性別化は、一面では性差別の解消ではあるものの、もう一面では依然として存在する教師の性別役割分担を問う言葉の喪失である。また男性教師を標準とする「教師」への同一化である、すなわち女性教師の実質的な男性化であったという点でも問題をはらんでいる。
著者
高坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.123-136, 2015-03-13

本研究の目的は、少女向けコミック誌および女性向けコミック誌における恋愛行動・性行動の描写数をもとに、それぞれの特徴を比較し、また、前後の文脈をもとにキス場面の内容分析を行い、少女向けコミック誌および女性向けコミック誌における恋愛像、あるいは男性像と女性像の描かれ方を明らかにすることである。それぞれの恋愛行動・性行動の描写数から、少女向けコミック誌は恋愛関係が構築されるまでを描く傾向にあるが、女性向けコミック誌は関係構築以降の口論や別れまで描いている、告白や別れの場面では男性が主導権をもっている、などの特徴が見出された。また、キス場面の内容分析から、恋愛関係・夫婦関係以外でのキスも半数程度描かれており、男性が一方的に女性にキスをする場面が多数みられることも確認された。今後は、読者である子どもや青年が描写されている恋愛行動・性行動をどのように受け止め、感じとっているかを明らかにする必要があることが示唆された。
著者
井上 加勇
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.1, pp.159-179, 2008-03

人は自分が帰属するための物語を求め続け、かつ、それを維持し続けるために大きな犠牲を払い続ける。戦いを題材とした漫画は、そのような物語を消費者に与える装置としての役割を果たしてきた。格闘漫画はそのような戦いを題材とした漫画の極致であると言える。格闘漫画は強さの追求の中で生まれた暗黙の法を男同士の絆の実践とみなすことによって、暗黙の法に基づく価値観の絶対性を主張する。格闘漫画は男同士の絆の体現者を最強と同一化することで、主人公を戦いの破滅性から回避させると同時に、暗黙の法と対立する価値観の持ち主を弱者として排除した。かくして漫画の中の戦いは、同じ価値観を持った男同士の濃密なコミュニケーションとなったのである。このような絆としての戦いは、他者との絆を渇望する現代人の欲求に応えるものであり、読者にアイデンティティを与える物語の役割を果たすものであると言える。しかし、その結果、戦いは戦うこと自体を自己目的化していき、同質な者だけで構成された小さなコミュニティがそのまま世界と同一視されることになるのである。
著者
米田 幸弘
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.8, pp.27-38, 2015-03

本稿では、「仕事による人間的な成長」という労働倫理に着目し、その形成要因を明らかにすることを試みた。このポジティブな労働倫理の形成にどのような階層要因や職業経験が関わっているのか、男性有職者にサンプルを絞り、SSP-W2013-2ndを用いた計量分析をおこなった。その結果、年齢が高く、世帯年収が高く、仕事の自律性が高く、職場承認を得ている層において、「仕事による成長」という労働倫理を形成する傾向が見られた。また、若年層において、「仕事による成長」という仕事観を持てるかが職場承認の度合いによって大きく左右されるという交互作用効果が見られた。本稿では、このような知見に関して、「職場共同体の崩壊」を背景にした、「働くことをつうじた承認」の稀少化と関連づけた議論をおこなった。
著者
道場 親信 丸山 尚
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.175-242, 2013-03-19

本インタビューは、25年にわたって「住民図書館」の館長をつとめられた丸山尚氏のジャーナリストとしての半生を記録したものである。住民図書館とは1976年4月に設立され、日本各地の市民運動・住民運動や個人の発行するミニコミを収集・保存・公開してきた、市民の手弁当による自立的なアーカイヴであった。丸山氏のジャーナリストとしての人生は、1961年に『現代の眼』編集者となることから始まる。丸山氏は1971年に「日本ミニコミセンター」を設立するが、そこに至る10年の編集者時代の経験は、60年代出版ジャーナリズムの世界と深く関わり、広い人脈に連なっていた。同センターは3年の活動の後閉鎖されるが、76年に住民図書館館長となった丸山氏は、25年間この民間アーカイヴを守り続けた。本稿では、日本ミニコミセンター設立以前、ミニコミセンターの活動、それに住民図書館の活動を前期・後期に分け、丸山氏の活動に即して軌跡をたどっている。50年にわたる丸山氏のジャーナリストとしての軌跡を追うとき、市民・住民運動史とジャーナリズム史の交差する場所として氏と住民図書館の姿が見えてくる。
著者
岩本 陽児
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.109-128, 2023-03-17

本稿では、主に文献研究の手法により、奈良・平安朝エリートの邸宅という独特の空間に発生し、形を変えながら現在に続く「前栽」(せんざい)、中国に発生した花壇概念と室町期の「花壇」、江戸期の園芸書に見られた「花壇」の実態をまず確認した。次に明治以降を取り上げた。街路樹導入や都市公園建設と並行して、学校の校庭や民家にも花壇が普及した。しかし、街路の緑化は、戦後復興期の都市整備と、戦後創設された社会教育制度が中核的な役割を担った「新生活運動」の一領域である国土を美しくする運動、いわゆる「国土美運動」を待たなくてはならなかった。かくて都市のパブリックスペースに普及した花と緑の景観は、地方行政が新自由主義に転じる中で、新たなマネジメントの段階に入っていった。
著者
髙坂 康雅
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.6, pp.23-34, 2013-03

本研究の目的は、ある時点において恋人がいる青年(大学生)を対象として調査を実施し、その対象者に対し全3回の縦断的な追跡調査を実施することにより、アイデンティティ及び「恋愛関係の影響」が恋愛関係の継続/終了の予測可能性を、明らかにすることであった。第2回調査の時点の恋愛関係の継続/終了、及び第3回調査時点での恋愛関係の継続/終了を独立変数に、アイデンティティや「恋愛関係の影響」について比較したところ、「恋愛関係の影響」の「他者評価の上昇」が短期的な恋愛関係の継続/終了を予測することが明らかになった。またアイデンティティの感覚や「恋愛関係の影響」の「充足的気分」も、短期的な恋愛関係の継続/終了を予測する可能性が示された。
著者
上野 隆生
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
no.3, pp.99-115, 2010-03

This article deals with the Italian School Textbooks, especially those of geography, published from 1920's to the first half of 1960's. My focus falls upon the Italian images of Japan──how they described Japan and things Japanese──and its transition. Naturally in the field of culture or belle arte important exchanges between Japan and Italy have been occurred since the end of Edo period. But the study of public images between the two nations has been less exhausted than we expect in the domain of modern Japanese history. This negligence seemed more queer in considering the intimate relations between the two countries as fascist powers in the late 1930's and in the first half of the 1940's. After the defeat of the fascist powers, democracy and economy appeared to have become the main interests of nations instead of the arrogant aggression and expanding the colonial-empire. So did it even in the ex-fascist nations. Then, what of the images of Japan in Italy? Even though my analysis is circumscribed by lack of comprehensive materials, for the purpose of gaining a better understanding of the Italian images of Japan for nearly fifty years in the midst of 20th century, the following might be a conclusion. First and foremost, we often read in the textbooks that Japan made such a successful takeout both in the economical and in the political dimensions. It was so surprising that almost every textbook, no matter when it was published, mentioned on that point. Not only in the pre-WWII period but also in the post-WWII period, it is clear that they are astonished at the speed of development of Japan. Secondly, they tried to grasp the reason of such rapid development. The reason of this rapidity always centered on the shrewd capability of Japanese people to imitate European civilization. At the same time, often mentioned is the fact that Japan lacked enough space, food and materials to nurture the Japanese people. There comes the striking difference between pre- and post-WWII. Before the WWII, they regarded this lack as a reason that Japan conquered Korea, China, and Southeast Asia. In other words, it was well "justified" for Japan to annex these area. After the WWII, on the other hand, they come to think that over-population and material shortage compelled Japanese industry to become more labor-intensive and effective, which has been the essential characteristic of Japanese industries. Therefore Japanese products can be competitive everywhere in the world. Thirdly, with a feeling of marvels, they introduced Japanese ways of life, beautiful sceneries such as Inland See, and Japanese culture. It has been more mentioned in detail than we had ex pected. A particular emphasis is laid on the contrast between the highly modernized industrial apparatus and the traditional way of life. In a nutshell, reviewing the Italian school textbooks of geography, an ambivalent image has existed about Japan, that is, wonder and menace. When it comes to the rapidity of Westernization, a feeling of wonder cast a long shadow of the images of Japan in Italy. But at once looking from the viewpoint of geopolitics or the rapidity of Japanese expansion into Asia and the Pacific, a feeling of menace emerged into the images of Japan. This ambivalence seems to have created the prototype of the images of Japan in Italy.