著者
大谷 晋平
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.114-133, 2019-01-25 (Released:2019-06-25)
参考文献数
25

【要旨】 勅使河原宏や松本俊夫ら、後に日本の「新しい波」と言われる映画人たちは、1950年代末頃から「主体」を巡って様々な映画を制作するが、本論は勅使河原の『北斎』(青年プロ、1953)を、そういった映画活動の初期作品であると位置付け、その観点から考察を試みるものである。 勅使河原は1950年代初頭から「世紀の会」等のいくつかの芸術運動に携わり、後に映画制作で協働する安部公房や、1940年代末に「主体性論争」の中心となった「近代文学派」の人物たちとも交流を持ち、同時代に芽生えていた問題意識を共有していく。勅使河原はそういった活動をしている時に、瀧口修造が過去に制作していた映画『北斎』の仕事を引き継ぎ、自分なりの『北斎』を再制作して監督デビューした。 そのため、本論では瀧口が残したシナリオと、勅使河原版の『北斎』とを比較し、また、絵画を「物語的」に扱う映画の先駆者であるアラン・レネらの影響も考慮しながら、勅使河原のオリジナルな演出に焦点を当てて『北斎』を「主体」との関わりから考察する。 本論を通して、勅使河原の『北斎』は「主体」を巡る映画としてある程度の問題意識を提出できたが、問題点も孕んでいたことが明らかになる。結局、『北斎』は、日本の「新しい波」の活動が盛んになる前の1953年の作品であること、そして「主体」に関しても課題を含んでいることから、「主体」を巡る映画運動の萌芽であると位置付けられるのである。