著者
大谷 貞夫
出版者
国学院大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1986

江戸幕府の直営牧は、下総国内に小金5牧と佐倉7牧が、安房国内に嶺岡5牧が、駿河国内に愛鷹3牧がそれぞれ存在していた。本研究は、これら20牧の管理にあたっていた諸役人のうち、下総国小金に在住した野馬奉行の綿貫氏、牧周辺部の農村に居住し、普段は農業を営み、牧の仕事に関連してのみ苗字帯刀御免の特権、扶持米や給金の支給を認められていた牧士について研究したものである。1 野馬奉行綿貫氏について:綿貫氏はその由緒書によると、慶長期に徳川家康によって召し出され、高30俵で野馬奉行に任命されたという。一方、三橋家文書の中の「従野馬始之野方万控」によると、同氏は元禄期に小金厩の書役となり、享保2年に同厩の馬預(5人扶持)、享保後半期から延享頃に野馬奉行(高30俵)に任命されたという。武鑑や島田家文書の「江戸5年々野馬捕御越候日記」の裏付けもあって、後者が正しいと結論付けられる。2 牧士について:牧士も野馬奉行と同様に家督相続に際して、由緒書を幕府に提出した。由緒書は宝暦5年に初めて提出されたものであり、近世前期の牧士の研究に、従来この由緒書をよく利用していたが、他の史料と比較し検討することが大切である。小金牧の場合元和5年には牧士が存在していたことは、「下総小金領馬売付帳」(染谷家文書)で明らかであるが、当時は苗字帯刀御免の特権はなかった。佐倉牧の場合、寛文6年に老中若年寄が連署し、代官関口作左衛門に与えた覚によって(島田家文書)、寛文元年の時点で島田長右衛門・藤崎半右衛門・佐瀬長左衛門・綿貫市左衛門の4名の牧士が存在していたことが明らかである。佐倉牧では当時から苗字帯刀御免であった。嶺岡牧の牧士石井氏の場合、安房の雄里見氏に仕えた厩の役人であった(石井家文書)。