著者
大鹿 眞央
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.309-325, 2020 (Released:2021-04-06)
参考文献数
41

本稿では、『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜祇経』第七品所説の「自性障」に関する五大院安然の解釈が、後代の東台両密の学匠たちにどのように伝承され、展開されたかについて検討した。その結果、安然自身は自性障の解釈に「見惑・思惑・無明」の三種を配当したが、「塵沙惑」を配当しなかったため、「三惑」という表現を用いていないことが判明した。しかし、東密の実運は、自著の中で安然の名前を出さずに安然の教説を援用し、「自性障」について「三惑」と表現した。さらに、東密の実賢・道範は、実運の解釈を踏襲するとともに「安然が見・思・無明の三惑と表現した」と、誤った情報を添加していたことが分かった。台密の学匠に関して述べれば、慈円は自性障について「元品無明」と簡潔な解説をするのみに留めているのに対し、澄豪は安然の教説を受容しながらも、「見惑・思惑・無明」を「三惑」と称してしまっている。言わば、澄豪の記述は、東密の註疏に影響を受けた可能性が高いと言えよう。