著者
安井 繁宏
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.73, no.11, pp.771-775, 2018

<p>素粒子・原子核から物性(電子・原子)までの階層構造を統一的に理解することは,物質構造の普遍性と多様性について重要な知見を我々に与える.異なる物質階層に共通して見られるシステムの例がフェルミガスであり,多様な量子現象が存在することが知られている.その一つが近藤効果である.</p><p>近藤効果はフェルミガスにおいて不純物が引き起こす量子効果である.近藤効果の説明のために電子ガスに不純物原子が混入している状況を考えよう.ただし不純物原子はスピンをもつとして,電子ガスと不純物原子の間にスピン交換が行われるとする.このとき電子ガスと不純物原子の相互作用の大きさは媒質効果による影響(ループ効果の繰り込み)を受けて変化し,低エネルギー散乱において対数的に増大する.そのため低温の熱力学的な性質や輸送係数に大きな変化が現れる.これを近藤効果という.このような現象自体は20世紀前半に実験的に知られていたが,1964年に近藤淳によって本質的な問題点が解明された.そして近藤効果の研究は繰り込み群や漸近的自由性などの様々な理論的な発展を促した.</p><p>近藤効果は,重い不純物を含むフェルミガスにおいて次の条件が満たされたときに起こる量子効果である:(i)フェルミ面が存在すること,(ii)粒子–ホールの対が発生すること,(iii)不純物がスピン交換をすること.スピン交換相互作用は非アーベル的相互作用に一般化することができる.重い不純物はフェルミガスにとって静止した境界条件の役割を果たしている.</p><p>エネルギースケールを大きく変えて「強い力」を考えよう.近年アップやダウンよりも重いフレーバーを不純物として含む原子核やクォーク物質を生成する高エネルギー加速器実験が議論されており,近藤効果の観点から不純物効果を考えることは興味深い.もっとも平衡状態の存在は非自明であるが,平衡化の時間より長くてベータ崩壊より短い時間スケールの範囲内で平衡状態と見なすことが可能であろう.さて原子核(あるいは核物質)にどのような重い不純物が存在すれば近藤効果が発生するのかを考えよう.近藤効果の条件(i),(ii)は満たされている.(iii)の非アーベル型相互作用をもつ重い不純物として,チャームクォーク(<i>c</i>)あるいはボトムクォーク(<i>b</i>)と軽いクォーク(<i>q</i>=<i>u</i>, <i>d</i>)で構成された</p><p><i><span style="text-decoration: overline;">D</span></i>, <i><span style="text-decoration: overline;">D</span></i>*(<i><span style="text-decoration: overline;">c</span>q</i>)メソンや<i>B</i>, <i>B</i>*(<i><span style="text-decoration: overline;">b</span>q</i>)メソンを考える.これらは内部自由度としてSU(2)×SU(2)対称性のスピンとアイソスピンをもつので核子と非アーベル型相互作用をする.つまりスピンやアイソスピンに起因する近藤効果が生じると考えられる.</p><p>さらにエネルギースケールが高くなると核子に閉じ込められていたクォークが解放されて核物質はクォーク物質に変化する.クォーク物質は軽いクォーク(<i>u</i>, <i>d</i>, <i>s</i>)のフェルミガスと見なされる.近藤効果の条件(i),(ii)は満たされているが,(iii)の重い不純物は何であるべきだろうか? 答えはチャームクォーク(<i>c</i>)あるいはボトムクォーク(<i>b</i>)自体である.ただしクォーク物質ではカラー(色)は解放されているのでSU(3)対称性のカラー交換が非アーベル型相互作用として存在する.つまりカラーに起因する近藤効果が生じると考えられる.</p><p>近藤効果は弱結合(高温側)における摂動的現象のみならず強結合(低温側)における多くの非摂動的現象をもたらす.高温側では様々な物理量(電気抵抗や粘性のような輸送係数など)が温度の対数スケールに従う.低温側では,非摂動的現象として,近藤共鳴状態が出現したり,軽いクォークと重いクォークの結合(近藤凝縮)によるトポロジカル構造が存在する.近藤効果と他の様々な相関の競合も興味深い.</p><p>近藤効果は核物質やクォーク物質の普遍性と多様性について魅力的で興味深い見方を与えてくれるだろう.</p>