著者
安永 麻里絵
出版者
筑波大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2014-04-25

採用第三年目にあたる平成28年度には、前期にはオランダのアムステルダム大学人文学部美術史学科においてとくに19世紀以降のオランダにおけるインドネシア美術研究と植民地政策の関連について調査研究を行った。これを踏まえ、後期にはこれまでの研究を博士学位請求論文「『展示不可能なもの』の展示 カール・ヴィートのアジア美術研究における美術史学と人類学」にまとめ、東京大学総合文化研究科に提出した。本論文はドイツの美術史家カール・ヴィート(Karl With, 1891-1980)が1910年代から1920年代初頭にかけて取り組んだアジア美術研究を対象とし、その美術史学的方法論と美術館展示における実践の特質を分析するものである。1913(大正2)年にヴィートが日本で行った仏教彫刻研究を手がかりに、美術様式論や仏像写真を介した東西美術史学の学術交差を明らかにするとともに、オランダにおける調査を踏まえ、ヴィートのインドネシア美術研究において人類学や考古学などの隣接諸領域の視点から美術史学的方法論の再構築が試みられていく過程を明らかにした。とくに、1930年代にインドネシアが欧米の観光地化が進む過程でイメージ伝播装置として機能したことが1970年代以降の文化人類学の立場から指摘されてきたグレゴール・クラウゼによるバリ写真については、その初版本編集者としてのヴィートの役割を再考しつつ、異文化の美術研究と観光産業、あるいは植民地の文化保護政策と芸術研究が孕む矛盾がどのように生成されたかを明らかにした。これらの矛盾を踏まえてヴィートが、岡倉天心らによるボストン美術館の仏像展示のヨーロッパへの影響を相対化しつつ、アジアの仏教美術という本質的に西洋美術と異なる美術を西欧観衆に向けて提示するための実験的試みとして、文化人類学的視点と美術史学的視点を融合させた美術館展示を試みていたことを明らかにした。