著者
安田 比呂志
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.15-27, 2007-03-01

ディヴィッド・ギャリックの改作版『ロミオとジュリエット』は、「恋人としてのロミオ像」を確立し、1748 年の初演以降、97 年にわたってイギリスの劇場で高い人気を誇っていた。その一方で、18 世紀には、「恋愛」という主題が非倫理的・反社会的な性質を伴うものであり、したがって悲劇には不適切であるという認識が浸透していた。本稿の目的は、当時の倫理的規範に反するとさえ考えられる「恋人としてのロミオ像」の確立を、ギャリックがどのようにして可能にしていたのかを、18 世紀の『ロミオとジュリエット』を巡る議論と彼のテキストの分析を通して明らかにすることにある。ギャリックのテキストには、18 世紀当時『ロミオとジュリエット』が抱えるとされていた様々な問題に対処しようとする改作意図が具体化されている。「韻文と言葉遊び」の多くを削除し、プロットや登場人物の性格付づけを簡潔かつ明瞭にし、性的な言及を減らすことで、語法的・構造的・倫理的な問題を解消しているのである。ギャリックは、更に、恋人たちの恋愛の周辺に親たちの争いという枠組みを設定し、親たちの争いのために恋愛の成就を妨げられるロミオの苦しみを明確にすることで、ロミオの「恋愛」を純化、英雄的な行為にまで高めると同時に、恋人たちを死へと導いた争いをやめない親たちの愚かさを強調することで、観客の批判の対象を恋人たちの「恋愛」の性質から親たちの愚行へと向けている。こうしてギャリックは、「恋愛」という主題を悲劇に相応しい主題へと変貌させていたのである。ギャリックの改作は、台詞を大幅に削除し、プロットにも改変を加えているために、19 世紀末以降過小評価されて来た。しかし、彼の創意工夫なしには、「恋人としてのロミオ像」はもちろん、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』さえ、18 世紀の観客に歓迎されることはなかったのである。ギャリック版『ロミオとジュリエット』の上演史における貢献の大きさは、改めて評価される必要がある。
著者
安田 比呂志
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.27-41, 2009

ジョージ・コールマンの『ポリー・ハニコム』は、18 世紀のイギリスに見られた感傷小説愛好の風潮を、巧妙かつ滑稽に風刺した笑劇として一般に評価されている。しかし、この笑劇には、単なる感傷小説批判にはとどまらない、破壊的とも呼べる特徴が見られる。ヒロインのポリーは、幕が下りる最後の瞬間になっても、感傷小説が若者に鼓舞するロマンティックな恋愛を決して放棄しようとしない。そればかりか、エピローグで再び姿を現すと、改めて感傷小説を賞賛し、この笑劇を通して自分の「精神」を知った女性は、裁縫や料理といった伝統的な女性の仕事を放棄し、「従順を求める時代遅れな教訓」を捨て去り、ついには男性の代わりに武器を取り、戦争でも戦うべきだと、観客に向かって主張するのである。本論は、フェミニズムの発想をさえ思わせるポリーの主張に対する当時の観客の受容の様相を明らかにすることを目的とする。この目的のために、本論では、最初に、この笑劇に描き出されている「ロマンティックな恋愛」と、これまでの批評では注意が向けられることのなかった「夫婦愛」のふたつの愛情の形を、コールマンが『鑑定家』の中でどのようなものとして描き出しているのかを検証し、次に、これらふたつの愛情の形を、ロレンス・ストーンが語る「情愛的個人主義の発達」が見られた18 世紀のイギリス社会の文脈の中に位置づけることによって、劇中に描き出されるこれらふたつの愛情が、18 世紀の観客にとってどのような意味を含蓄し得ていたのかを明らかにする。この考察によって、これらふたつの愛情が、『ポリー・ハニコム』の中で嘲笑の対象として描き出されながらも、同時に、未来における実現の可能性を秘めていたことが浮き彫りになり、最終的に、この笑劇が、単なる感傷小説批判にとどまらない、よりダイナミックな反応を観客の中に喚起していたことが明らかになるはずである。