著者
塩澤 寛樹
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.88-75, 2004-03-30

文治元年(一一八五)に建立された勝長寿院は、源頼朝が鎌倉に建てた初めての本格的寺院であり、その後も鎌倉時代を通じて幕府に重んじられた。その本尊像制作を任されたのは、一般に奈良仏師と称される一派に属し、それまでほとんど実績の知られていない成朝であった。鎌倉幕府と奈良仏師の結びつきの発端となったこの仏師選定は、その後の鎌倉文化の展開に大きな影響を与えており、その重要性を再認識する必要がある。そこで、本稿は、鎌倉幕府関係造像の先駆けであるこの仏師選択の理由について検討した。その結果、従来繰り返し説かれてきたいくつかの主要な理由は、いずれも無理があると判断された。そして、頼朝の行動理論を分析し、加えて成朝の言上書に新しい解釈を加えた結果、頼朝が成朝は定朝の正系であると認識していたことが最大の理由ではないかと推定されるに至った。その上で、改めて勝長寿院における仏師選定のあり方が示すところを考えたところ、頼朝個人の論理に基づいて決定されたこの選定は、将軍独裁とも呼ばれるこの時期の政治体制とも軌を一にしており、極めてこの時期らしいあり方であることを指摘した。さらに、翌年の北条時政による願成就院の造仏に運慶を起用した理由についても、併せて解釈を提示した。
著者
楠原 偕子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.17-31, 2002-03-30

スポーツマンや俳優、舞踊家、ミュージッシャンなどは、からだをメディアとして使用することを専門とする人びとである。彼らが、からだを鍛えるということは、個々の人間の持つ身体機能を専門に応じて十全に働くように調整し、それを巧みに操作できる力を涵養することが目的だ。そして、そのための鍛え方がある。ところで、一般にだれであれ人間という存在は、個々の持つ身体各部の機能が感情や知能とも解け合って、有機的に働いている状態の全体を指す。それこそがこの世に生きるということである。このような一般の人が、からだを鍛えると言うときは、それぞれの身体条件を全体の中で調和させながら十分に機能するように訓練することであろう。それぞれの身体条件ということは、個々の人間が持つ身体の物理的・有機的特徴を指し、全体というのは、一つにはその個の存在全体を指すと同時に、個の存在している周辺の環境との関係をも取り込んだ全体も含んでいる。人間は、所詮、社会(孤島などに一人きりで置かれた場合も含めての社会)的な存在として生きているからである。いずれにしろ、存在としての人間を調和のとれた有機体として保持することが目標であれば、ここで鍛えるということも、特殊な人間の問題でも特殊な場合に備えることでもなんでもない。たしかに「鍛える」ということばには、程度の差はあれ、かなり継続的な訓練や修練の意味が含まれている。しかし訓練という行為の基本には身体機能を通して身体を認識するという前提があるとすると、いわば「鍛える」前提段階は、ごく普通の人間にとってのごく当たり前の心構えを持つことであり、それは日常行為に直結したことなのである。本論は、わたし、あなた自身のからだをテクストとして、われわれの日常における身体への認識を持つための道をつける一つの覚え書きである。難しい理論などへはなるべく踏み込まないで、普通の人間の抱く日常感覚としての身体について的を絞っていきたい。ただ、これには当然、現代人としての視野が入ってくるであろうし、同時に、国際的視野に立ちながらも日本人であることを見据えて考えていきたい。それにしても、身体は存在そのものの基本であるので、古来人間はさまざまの面から「身体」というものをどのように認識したらよいか論じてきた。現在はとくに、西欧的に近代化されて以来、精神と肉体(心的なものと生理的・物理的なもの)の二元論で把握し人間に対して精神・思考機能を偏重してきた視点への反省があって、両者を切り離し得ない存在の総体としての身体性について多くの人がさまざまな角度から論じなおしており、おびただしい書物や論文が出まわっている。哲学の視点、心理学の視点、人類学、民族学の視点、広い意味での社会学・メディア論の扱う視点、そして芸術論においては言うまでもない。もちろん人文系ばかりでない。当然ながら治療、医学において、また技術などの分野でも異なる観点から身体論に迫る。それに加えて、インターカルチュラリズムの動向にともなうグローバリゼイションの動きが加速されている今日においても、西洋における身体観、東洋におけるそれなど、生活、制度、思想を総合する文化伝統のあり方によって、依然として微妙に異なる身体観が存在しているのである。
著者
金山 弘昌
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.53-73, 2004-03-30

1664年,G.L.ベルニーニは,ルイ14世の冬の宮殿,パリのルーヴル宮東翼建設のための最初の計画案を提案した。同案はいくつか特殊な面を示すが,それらは「比類するものふたつとなし」をモットーとする「太陽王」のために前例のない王宮を設計せんとする,ベルニーニの意図を反映したものに他ならない。同案のもっとも特異な要素のひとつが,中央部のいわゆる「ドームなしドラム」である。論者は,このモティーフの着想源と象徴的意味内容について新たな仮説を提示したい。「ドームなしドラム」については,すでに幾つかの仮説が提示されている。その着想源について,同モティーフの名付け親でもあるR.W.バージャーは,フランスの建築家にして版画家,アントワーヌ・ル・ポートルによる架空の館を描いた版画の影響を示唆している。当時のフランスの「建築総監」であったJ.B.コルベールは,このモティーフを「王冠」と解釈した。一方今日の幾人かの研究者たちは,集中式平面の聖堂との関連を主張し,このモティーフが君主の絶対で聖なる権力の象徴であるとみなしている。この点につき論者は新たな着想源として,スペイン王の皇子誕生を祝ってフィレンツェで上演された祝祭劇『イペルメストラ』(1658)のためにフェルディナンド・タッカが設計した舞台装置を描いたシルヴィオ・デリ・アッリの版画を提案したい。この舞台装置には「ドームなしドラム」状の円形建築が含まれ,それが「太陽の宮殿]を表すとされているのである。この円形建築は,形式においてルーヴル第1計画案と強い類似性を示すのみならず,その意味内容においてもまた「太陽王」の宮殿に大変ふさわしい。さらに「ドームなしドラム」をもち,「太陽の宮殿」を表現した一連の建築図面やイメージが存在する。例えばアポロンとしてのルイ14世を描いたヨーゼフ・ヴェルナーの素描や,マッティア・デ・ロッシによる同国王の記念碑の計画案などである。「太陽王」の宮廷周辺において,「太陽の宮殿」を「ドームなしドラム」で表現するというひとつの図像伝統が存在したことは否定しがたいのである。当然ながら,なぜ「ドームなしドラム」と「太陽」が結びついたのかという疑問が生ずる。バージャーが有名なクロード・ペローによるルーヴル宮の列柱廊の典拠とみなすオウィディウスの『変身物語』には,「ドームなしドラム」についての言及はない。同様に古代建築の復元図にも先例は見当たらない。現段階では,この結びつきがいくつかの建築書の記述に基づくと論者は考える。事実ウィトルウィウスは,「雷神ユピテルや天空神,太陽神や月神のためには,白日の下に露天式の殿堂が建てられる」と記している。一方アルベルティとパッラーディオは,太陽神の神殿が円形平面でなければならないと述べる。これらの建築的規則を総合するならば,太陽に捧げられた円形平面の露天式神殿を想像することは容易いのである。
著者
西木 政統
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.94-81, 2014-03-01

比叡山延暦寺一乗止観院(根本中堂)に最澄自刻と伝わる薬師如来像は、天台宗の中心的尊像として信仰を集め、数多くの模像が造られた点で、日本の薬師造像史上、特異な存在である。その模像は「天台系薬師如来」と呼称されているが、室生寺金堂に伝来する像もその一例とされる。本稿は、史料上の言及を整理することで原像の像容を確認しつつ、本像が改めて天台系薬師と認められること、制作年代が九世紀末から一〇世紀初頭頃に求められることを指摘した。そのうえで、伝来についても再検討を行い、複数の薬師如来像が祀られていた根本中堂の尊像構成を反映し、もともと室生寺金堂に奉納された可能性を提示するに及んだ。以上、本稿はあくまで一作例の再検討にとどまるが、天台系薬師に対する信仰が普及する一様相の解明を企図したものである。
著者
柴原 宜幸
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.89-102, 2011-03-01

そこで本研究では、大学入学直後の学生の答案が、半年間の授業(ディシプリンにおける指導)を通じて、ライティングにおいて、どのような変化をみせるのかを考えていく。その観点としては、学生が、授業内容の理解をどれだけ自分の言葉として表現できるようになるのか、さらには、異なる文脈で話された内容や、個人的な経験や一般的な言質との関わりでの知識とどのように再体制化するのか、である。またその際、教員からのフィードパックがどのような効果をもたらすのかについても考察し、今後のライティング教育を考えていく1つのヒントとしたい。
著者
國弘 保明
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.19-28, 2012-03-01

大学入学以前と以後では生活や学習のスタイルが全く異なり、大学に於ける初年次はそれまでの学校とのギャップに悩む学生が少なくない。また、留学生は入学するまでに学んできた外国語としての日本語で高度な専門科目を受講する必要があり、二重の困難を感じることとなる。実際に留学生を対象としたインタビューでは、専門科目の学習に困難を訴える学生が数多くいた。本稿は上記の訴えを念頭に、日本橋学館大学で開講されている講義のうち、1 年生を対象としている科目に於いて教科書として指定されている書籍の日本語を語彙面から分析した。これにより、入学直後の留学生がどのような日本語に触れているか、その一端を把握し、留学生の学習の手助けを志したいと考えたためである。分析の結果、教科書の理解には、日本語能力試験の旧基準によるところの「旧2 級語彙」の理解が定量的な観点から必要であることがわかった。また、日本語能力試験の旧基準に含まれない「級外語彙」が頻出することもわかった。この級外語彙は日本語教育では扱いにくく、留学生になじみがないものではあるが、傾向として頻出するものとそうでないものがあることもわかった。この頻出する級外語彙こそ重要な専門用語といえるだろう。今後の課題として、頻出する級外語彙を日本語教育の場でいかに扱うか、他分野との連携を視野に入れて考察する必要がある。また、講義中の教員の発話といった異なる場面の日本語の分析や、文型面からの分析も有効であると思われる。
著者
金山 弘昌
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.39-52, 2003-03-30 (Released:2018-02-07)

16世紀後半のヨーロッパ諸宮廷において,ある新しい流行が広まった。馬車の使用である。同世紀末までに馬車は貴族階級の主要な移動手段となり,さらには宮廷儀礼において重要な役割を果たすようになった。馬車の急速な普及は建築や都市計画にも影響を与えた。それまでは騎馬のみを前提としていたパラッツォ(都市型邸館)において,馬車庫や馬車の動線の確保が必要となったのである。この点について,本論考では,17世紀イタリアのパラッツォの建築計画における馬車の使用の影響を,フィレンツェのピッティ宮の事例の検討を通して考察する。トスカーナ大公の宮殿である同宮は,当初ルネサンスのパラッツォとして建設された後,16世紀後半,いまだ馬車が決定的に普及する以前に増築改修された。それ故,翌17世紀においては,馬車のための諸設備の増築の必要が明白かつ緊急の課題となった。まず1610年までにボーボリ庭園に至る馬車の「通路」が設けられた。さらに同宿改修のための多くの未実施の計画案の中にも,馬車関連の施設の提案が見出される。 1641年には,大公の建築家アルフォンソ・パリージが,大公の弟ジョヴァンニ・カルロ公の意見に基づき,ロッジア(開廊)形式の馬車庫を新設の側翼に設けることを提案した。また宮廷のグァルダローバ職で技師のディアンチント・マリア・マルミが1660年代と70年代に提案した各種計画の中にも,馬車庫や多数の馬車の使用に適した広場の整備,中庭からボーボリ庭園に至る新しい馬車道などが見出される。さらに大公の「首席侍従」のパオロ・ファルコニエーりも,1681年にピッティ宮の全面改修を提案した際,馬車関連施設の不備を同宮のもっとも重大な欠点の一つと考えた。ファルコニエーりは特に馬車の動線システムの再構築に配慮し,デコールム(適正さ)の原理を遵守しつつ,大公やその一族の馬車動線を「雑役」用のそれと明確に区別した。このように,たとえ大半の提案が構想段階に留まったとはいえ,17世紀の大公の宮廷の建築家や廷臣たちが,馬車の問題に対して常に関心を払っていたことは明らかなのである。
著者
村上 千鶴子
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.69-79, 2011

目的:統合失調症者の世界観について、正常対照群と比較して評価した。方法:統合失調症の診断がついている入院患者41 名と正常対照群50 名について、1996 年に世界観調査が実施された。結果:統合失調症者では、対象群と比較して具体性、感情的反応、二極化、分散、断定、自惚れ、被害妄想(女性)、宗教的傾向(女性)、関係性重視(女性)がより頻回にみられた。考察:統合失調症者の回答にみられた傾向は、ほとんどがPiaget の認知発達理論でいう「前操作期」あるいは「具体的操作期」と同様の認知段階を示した。慢性統合失調症患者では、情緒の退行と情緒の不安定性と同様に認知段階の退行が起こり、これが、自閉思考や原始的思考にみられる奇異な論理を惹起し、同時に心の平衡を保とうとすると考えられた。また、統合失調症者は、批判的に体験を受け入れる代わりに、生起した主観的、特殊な体験を無批判に受け入れる傾向があり、また断定的に物事を否定することで自身の意識の明瞭性を印象付ける傾向があることが示唆された。このことは、疾病それ自体だけではなく、環境要因への配慮も必要であることが示唆されており、その意味では、統合失調症者においても環境制限的であり、所与の環境における心理学的影響が注意深く考慮されなければならない。
著者
古賀 毅
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.3-13, 2011

本稿の目的は、近代公教育を構成する諸原理の歴史的コンテクストを確認し、20 世紀の社会変化という視点でみた場合にそれが今日的にどのような意義をもつのかを考察することにある。〈義務・無償制〉これらの原理は、18 〜 19 世紀に西欧の国民国家が形成される過程にその起源をもつ。西欧諸国は、キリスト教会に代わって子どもたちを教育し、国力を強化しようと考えていた。当初、民衆が就学義務を受け入れることは難しかったが、社会の工業化が進む中で、義務制はその有用性から国民的なコンセンサスを得ていく。無償制は義務制を有効ならしめるのに不可欠のものであった。今日、社会の変化にかんがみて、これらの原理に対して次の2 つの疑問が示される。1)学業失敗を増やさずに、義務就学期間を中等教育修了にまで延伸することは可能か?2) 初等教育から中等もしくは高等教育まで、完全な無償制を実現するための財源は確保できるか?〈非宗教性〉非宗教性あるいは学校の非宗教化は、国あるいは文化ごとにさまざまな現れ方をするが、教会による主宰権が国家によって否定ないし制限され、教育内容には宗教的教義を含まないという共通点はみられた。とくにフランスでは、19 世紀の政教間の闘争に由来して、この原理が非常に厳格に維持されている。非宗教性は、多文化的動向あるいは非キリスト教徒との共生という事態を前に変容を迫られている。また今日では、ハイパー・サイエンスや高度技術に満ちあふれた社会の中で人間存在がいかにしてその自律性を確保していくかというような問いも、教育の非宗教性に影響を及ぼそうとしている。
著者
宮下 智 和田 良広 鈴木 正則
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.41-51, 2012-03-01

近年、体幹筋に着目したトレーニング方法が注目されている。体幹筋をLocal muscles とGlobal muscles に分類し、Local muscles の活動性を高めるトレーニングが進められている。体幹の安定性を求める理由は、体幹安定が保証されることで、四肢に素早い正確な動きが期待でき、動作能力が向上すると考えられているからである。本研究は超音波診断装置を用い、腰部に違和感を経験し、腹横筋活動に何らかの影響があると考えられる8 名(年齢29.6±6.5 歳)を対象とし、4 つの運動課題下で、主要体幹筋である外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋、それぞれの筋厚を運動開始時と終了時に測定した。本研究で採用した4 つの運動課題のうち、double redcord training 課題の筋厚変化は、運動開始時には外腹斜筋よりも内腹斜筋の方が厚い傾向、運動終了時には腹横筋よりも内腹斜筋の方が厚くなることが認められた(p<0.05)。しかし個々の筋厚比率をdouble redcord training 運動課題の前後で検討すると、内腹斜筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が減少する傾向があり、逆に腹横筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が増加することが認められた(p<0.05)。このことからdouble redcord training 運動課題により、腹横筋の筋厚は増加し、内腹斜筋の筋厚は減少するというトレーニング効果を期待できる方法であると言える。他の運動課題では腹横筋の筋厚増加に伴い、内腹斜筋の筋厚も増加する(p<0.05)結果となった。運動により内腹斜筋厚が増加することは、Global muscles の活動量が上がることを示し、体幹トレーニングはLocal muscles の活性化が重要であることを考えると、従来の体幹筋トレーニングは、再検討が必要であると思われる。double redcord training 課題の特徴は、上下肢を共に吊り上げることにより、空中姿勢を保ち運動するのが特徴である。すなわち、不安定な運動環境の中で姿勢の安定性を求める高負荷な課題であると言える。この課題を正確に遂行するには、個々の筋肉は、速いスピードでの筋収縮が要求される上、関与する筋肉同士の協調ある筋収縮が求められる。Local Muscle である腹横筋が有効に働く、効果的な体幹トレーニングという観点から、double redcord training は画期的な体幹筋トレーニング方法であると結論づけた。
著者
金山 弘昌
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.29-51, 2005-03-30

上演芸術史において,フィレンツェのメディチ家宮廷がもつ重要性については議論の余地がないであろう。まさにこの宮廷において,ヤーコポ・ペーリによる史上初の音楽劇(オペラ)が上演され,ブオンタレンティ設計の有名なメディチ劇場が開設されたのである。大公国の政治経済的衰退が明らかな17世紀においてさえも,この宮廷で催される祝祭と上演物は西欧の他の諸宮廷にとっての模範であり続けた。本論文では,17世紀前半,より厳密には,いずれも婚礼祝祭の催された1608年と1661年の間の時期において,メディチ家宮廷で用いられた劇場システムについて考察したい。同宮廷では,とりわけさまざまな上演物が催される祝祭においては,上演物自体の類型を考慮しつつ,さまざまな類型の劇場と劇場的場が用いられた。メディチ家が催した祝祭,とりわけ婚礼祝祭の検証を通じて,同宮廷では劇場と劇場的場が概ね二つの類型に分類されていたと推定できる。一つはトルネオ(騎士試合)用の野外劇場であり,もうひとつは演劇と音楽劇の上演のための室内劇場,近代的な意味での文字通りの劇場である。野外劇場に関しては,たとえその形式が変化したとはいえ,中世に起源をもつ「囲われた広場」の伝統が,とりわけその機能において存続していた。しかし演劇と音楽劇のための室内劇場については,宮廷は恒常的に機能する劇場を生みだすことに失敗し,各種の劇場的場の応急的な使用に依存し続けたということを銘記せねばならない。この傾向はとりわけ1630年代のメディチ劇場の解体以後に顕著である。ピッティ宮中庭の使用などさまざまな提案がなされたものの,有効な方策とはいえなかった。それ故に,1661年の婚礼祝祭においては,アッカデミア・デリ・インモービリのペルゴラ劇場が音楽劇の上演に充てられたのである。かくして上演の場の問題は,貴族たちが所有するほとんど私的かつ市民的な劇場を用いて宮廷外で上演物を催すというかたちで解決されたのである。
著者
安田 比呂志
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.15-27, 2007-03-01

ディヴィッド・ギャリックの改作版『ロミオとジュリエット』は、「恋人としてのロミオ像」を確立し、1748 年の初演以降、97 年にわたってイギリスの劇場で高い人気を誇っていた。その一方で、18 世紀には、「恋愛」という主題が非倫理的・反社会的な性質を伴うものであり、したがって悲劇には不適切であるという認識が浸透していた。本稿の目的は、当時の倫理的規範に反するとさえ考えられる「恋人としてのロミオ像」の確立を、ギャリックがどのようにして可能にしていたのかを、18 世紀の『ロミオとジュリエット』を巡る議論と彼のテキストの分析を通して明らかにすることにある。ギャリックのテキストには、18 世紀当時『ロミオとジュリエット』が抱えるとされていた様々な問題に対処しようとする改作意図が具体化されている。「韻文と言葉遊び」の多くを削除し、プロットや登場人物の性格付づけを簡潔かつ明瞭にし、性的な言及を減らすことで、語法的・構造的・倫理的な問題を解消しているのである。ギャリックは、更に、恋人たちの恋愛の周辺に親たちの争いという枠組みを設定し、親たちの争いのために恋愛の成就を妨げられるロミオの苦しみを明確にすることで、ロミオの「恋愛」を純化、英雄的な行為にまで高めると同時に、恋人たちを死へと導いた争いをやめない親たちの愚かさを強調することで、観客の批判の対象を恋人たちの「恋愛」の性質から親たちの愚行へと向けている。こうしてギャリックは、「恋愛」という主題を悲劇に相応しい主題へと変貌させていたのである。ギャリックの改作は、台詞を大幅に削除し、プロットにも改変を加えているために、19 世紀末以降過小評価されて来た。しかし、彼の創意工夫なしには、「恋人としてのロミオ像」はもちろん、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』さえ、18 世紀の観客に歓迎されることはなかったのである。ギャリック版『ロミオとジュリエット』の上演史における貢献の大きさは、改めて評価される必要がある。
著者
宮下 智 和田 良広 鈴木 正則
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.41-51, 2012-03-01 (Released:2018-02-07)
被引用文献数
1

近年、体幹筋に着目したトレーニング方法が注目されている。体幹筋をLocal muscles とGlobal muscles に分類し、Local muscles の活動性を高めるトレーニングが進められている。体幹の安定性を求める理由は、体幹安定が保証されることで、四肢に素早い正確な動きが期待でき、動作能力が向上すると考えられているからである。本研究は超音波診断装置を用い、腰部に違和感を経験し、腹横筋活動に何らかの影響があると考えられる8 名(年齢29.6±6.5 歳)を対象とし、4 つの運動課題下で、主要体幹筋である外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋、それぞれの筋厚を運動開始時と終了時に測定した。本研究で採用した4 つの運動課題のうち、double redcord training 課題の筋厚変化は、運動開始時には外腹斜筋よりも内腹斜筋の方が厚い傾向、運動終了時には腹横筋よりも内腹斜筋の方が厚くなることが認められた(p<0.05)。しかし個々の筋厚比率をdouble redcord training 運動課題の前後で検討すると、内腹斜筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が減少する傾向があり、逆に腹横筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が増加することが認められた(p<0.05)。このことからdouble redcord training 運動課題により、腹横筋の筋厚は増加し、内腹斜筋の筋厚は減少するというトレーニング効果を期待できる方法であると言える。他の運動課題では腹横筋の筋厚増加に伴い、内腹斜筋の筋厚も増加する(p<0.05)結果となった。運動により内腹斜筋厚が増加することは、Global muscles の活動量が上がることを示し、体幹トレーニングはLocal muscles の活性化が重要であることを考えると、従来の体幹筋トレーニングは、再検討が必要であると思われる。double redcord training 課題の特徴は、上下肢を共に吊り上げることにより、空中姿勢を保ち運動するのが特徴である。すなわち、不安定な運動環境の中で姿勢の安定性を求める高負荷な課題であると言える。この課題を正確に遂行するには、個々の筋肉は、速いスピードでの筋収縮が要求される上、関与する筋肉同士の協調ある筋収縮が求められる。Local Muscle である腹横筋が有効に働く、効果的な体幹トレーニングという観点から、double redcord training は画期的な体幹筋トレーニング方法であると結論づけた。
著者
杉木 恒彦
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.47-69, 2014-03-01 (Released:2018-02-07)

アッサムの女神カーマーキャーは、毎年雨季の頃、生理になると信じられている。この女神の生理の開始と終了に合わせて行われるアンヴァーチー祭は、インドにおけるタントラの伝統の主要な大祭である。2013年のアンブヴァーチー祭は、6月22日から6月26日にかけて開催された。祭りそのものは公式には26日で終わりだが、翌日27日まで祭りの内容の一部は続いていた。南アジア地域におけるタントラの思想・文化研究の一環として、筆者は2013年6月22日から6月27日までアンブヴァーチー祭の第1回現地調査を行った。主たる調査方法は、参与観察(祭りに参加した人々への聞き取りを含む)である。その後、同年9月4日から9月8日まで再び現地を訪れ、祭りの期間に調べることのできなかった要素の補足的な調査を行った。本稿は、自身の今後の調査の礎とすることと、日本ではほとんど知られていないこの大祭の内実を紹介することを目的として、途中経過的ではあるが、調査の際に作成したフィールドノーツのいくつかをまとめ、調査報告とするものである。
著者
勝野 まり子
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
日本橋学館大学紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.3-12, 2008-03-01 (Released:2018-02-07)

「春の陰影」(1914)は、D.H.ロレンスの初期の短編小説の一つであるが、次の3つの理由から注目に値する作品である。彼自身の手によって改稿や改題が入念に6回なされた後で現在の形で出版されたこと、彼の主要な長編小説の世界と類似する世界を展開していること、そして、そこには30種類もの植物が異なる2通りの<象徴>的な形で登場することである。最後の点が、特に興味深いものである。この小論では、「植物描写における象徴の二重性」と「直感」という、密接に関係し合う2つの観点から「春の陰影」を考察する。その「植物描写における象徴の二重性」を簡潔に述べると、次のようになる。作者は、多くの種類の植物が持つ宗教上および民俗上の伝統的な<象徴>を意図的に用いて、作品の登場人物間の人間関係とプロットを暗示させ、それらを語りによって裏付けする。他方では、彼は幾つかの場面で植物を美しく生き生きと描く。そこでは、主人公サイソンは思考とは無縁に植物の美に深く感動する。それらの生き生きとした植物描写は、読者の五感にも訴えかけ、1つに結びつき、ついには1つの<象徴>を生む。そこには、それぞれの植物を個別に<象徴>として描こうとする作者の意図は見出せない。しかし、小説全体を通してみると、それらの幾つかの植物描写は一つの<象徴>となっている。それは、過ぎ行く時、春の中で土に育まれる植物と1人の女性の輝かしい生命を<象徴>している。そのような植物の二重の<象徴>は、旨く働き合い、これもまた作者の語りによって裏付けされながら、テーマを伝える。それは土に育まれるどんな生命も等しく賞賛され、それぞれがそれぞれの世界を持ち、その独自の世界は他の何ものによっても踏み込まれるべきではない、というテーマである。さらに、「植物描写における象徴の二重性」には、この作品の価値に加えて、ロレンスの作家としての豊かな才能も見出される。その<象徴>における二重性の1つは、宗教上および民俗上の伝統的なものであり、人間関係とプロットを暗示させるために意図的に用いられている。そして、それは作者が小説を書くための熟練した技と博識を有する並外れて知的な英国人作家であったことを伝える。他方では、幾箇所かでなされる生き生きとした植物描写全てが結び付き、1つの<象徴>を生み出す。それは、作者が豊かな「直感」を備えた人であったことを伝える。「直感」によって、人は誰でもどんな生命の輝きをも真に知ることができる。作者は「直感」によって、ありとあらゆる生き物の生命の輝きを認識し、「春の陰影」の主人公であるサイソンと彼のかつての恋人ヒルダも、「直感」によってそれらを認識することができる。今日、世界中で欧米化が極限的な状況にまで広まっている。それは、人間の経済的な発展をもたらしたが、同時に、あらゆる生命に大きな苦しみをもたらしている。約百年前に、英国人であるロレンスは、欧米文化を「直感」に欠くものとして批判し、「直感」が世界の望み多き将来への鍵であると信じた。我々も、知性や伝統的な知識を最善に生かしながらも、他方で、我々の「直感」を再生させることによって、そのような苦しみを軽減できるように思われる。これが「春の陰影」が我々に示唆することである。
著者
村上 千鶴子 古橋 幸男
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.112-120, 2012-03-01
著者
服部 一枝
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.49-61, 2010-03-01

新教育基本法に基づいて、2008 年に学習指導要領が改訂・告示されたが、文部科学省は〔生きる力〕の教育理念は変わらないとしている。〔生きる力〕は、1996 年の中央教育審議会の答申で初めて提言された。それは変化の激しいこれからの社会を生きていくために必要な資質、能力として、「問題解決能力」「豊かな人間性」「健やかな体」の3 つをいうものであった。この〔生きる力〕は、その後の時代と社会の変化に対応する形で変容を遂げてきた。1998年の答申では、「豊かな人間性」を育むために、「ゆとり」の中で「心の教育」をすることの重要性が説かれた。まもなく学力や学ぶ意欲の低下などが懸念されるようになると、2003 年には、これからの学校教育の目指すべき点は、「確かな学力」を基盤に〔生きる力〕を育成することである、と学力の重要性を前面に打ち出す方針が示された。しかし、2008 年の答申では、今の日本の子どもは、学力の問題だけではなく、「豊かな心」「健やかな体」の育成にも目を向けなければならないのが実情であると再定義している。このたび提言された〔生きる力〕を養う方策として、「演劇」が最適であるといっても過言ではない。「演劇」がこれからの学校教育にとって最重要の1 つであるという主張は早くからなされているが、いまだ学校の教育課程に正課として位置づけられていないのは残念である。そこで、高等学校で「演劇」を取り入れている事例を調査、検討し、〔生きる力〕の基盤となる「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」をバランスよく育む方法として、「演劇」が今こランスよく育む方法として、「演劇」が今こそ注目されるべきであるという考えを述べた。
著者
石田 修一
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.95-126, 2016-03-01

2005年4月から現在まで柏市教育委員会に勤務,市内42校の小学校及び中学校20校,高等学校1校の音楽教育について指導助言をおこなってきた。この10年間で子どもたちを取り巻く環境は大きく変わり,価値観が多様化,音楽活動にあてられる時間は半減している。その中で,より短時間で教育効果が上がった指導方法について考察する。 最初に時間の使い方を見直す。子どもたちの活動をじっくりと観察すると,無駄な動きが見えてくる。その無駄を改善することによって,練習時間を年間数十時間増やすことができる。次に効果的な実践として1.「倍音を感じて!意味のある基礎練習をおこなう」2.「個々の奏法向上教育方法改善」3.「システム化された合奏指導法」4.「コンクールの練習方法・ホール全体を上手に響かせる方法」5.「簡単なスコアリーディング方法」6.「指揮する自分の姿を自分の目で見て!感じて」7.「演奏者から離れた場所で聴いてみる」8・9.「音楽の授業との連携」を実践報告。 これらの実践報告をもとに短時間で教育効果を上げるための具体的方法や初心者の効果的指導方法について子どもの興味関心を高めるとともに,自ら音楽表現するよろこびが体感できる教育方法をシステム化した。