著者
安達 万里子
出版者
成城大学
雑誌
エウローペー
巻号頁・発行日
no.9, pp.1-17, 2000-03
著者
増渕 文男 安達 万里子
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.511-516, 1995-06-09 (Released:2010-06-15)
参考文献数
14

我が国では横断歩道橋が出現してから30年以上を経ており、架け替えなとによる新たな時代を迎えようとしている。しかし、横断歩道橋の変遷についてはまだ不明な部分が多く、研究を必要としている。本報は全国統一の設計基準が整備される以前の、昭和30年代に建設された横断歩道橋についての調査研究をおこなった。岐阜市では昭和37年から3年間で19橋を建設しており、先駆的な存在であった。しかし、その詳細は不明な点が多く、そのため構造形式や建設背景を調べた。また、比較事例として東京オリンピック開催時に多数の歩道橋を建設した東京都と、新設された国道43号線上に歩道橋を架けた兵庫県を対象とした。その結果、岐阜市においては実行力のある市長によって通学児童生徒の保護を目的として建設を進めていた。東京都と兵庫県においては、交通の円滑化を目的として短期間に建設されていた。岐阜市の場合はコンパクトな構造で現在も使用されており、構造形式及び意匠は優れたもので貴重な歩道橋が多数あった。当時は各都市独自で設計の基準を作成し、歩道橋として独特な構造形式をしていた。そして建設費削減及び、工事期間短縮のため標準化が行われていた。標準形式には岐阜市においてはトラス、東京都は単径間ラーメン、兵庫県は2径間ラーメンが採用されていた。