著者
中泉 行弘 林 尋子 安部 郁子
出版者
医学書院
雑誌
臨床眼科 (ISSN:03705579)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.94-98, 2010-01-15

清朝,乾隆年間に武英殿が刊行した『医宗金鑑』は最後の漢方医学全書といわれた書である。清朝の盛時に大学士鄂爾泰らが高宗の勅命を受け,国家的規模で編成した近世中国医学の代表的医書である。総計90巻のこの医学書を実際に纏め上げたのは医官の呉謙らで,医家の実用を主旨として編集され,最初に『傷寒論』『金匱要略』という基本書をおき,後に図,説,歌訣でわかりやすく解説している。 その明解さは『四庫全書提要』において評価され,「学者をして考究し易く,誦習に便ならしめてある」と書かれている。こうした実用書が望まれた背景には,「聖済総録や和剤局方などの官選医書もただ博いだけで要は少なく,或は偏して中を失い実際の治療に裨益するものではない」ということがあったためで,日常の臨床の際に役立てることを考えれば,単に網羅してある医書では扱いに手間取るため,わかりやすく覚えやすい医学書が望まれていたのであろう。
著者
中泉 行弘 林 尋子 安部 郁子
出版者
医学書院
雑誌
臨床眼科 (ISSN:03705579)
巻号頁・発行日
vol.68, no.12, pp.1638-1642, 2014-11-15

『世医得効方』は元代の医学者,危亦林(1277〜1347)が著した医方書である。危亦林は南豊(現在の江西省)の生まれ,字を達斎という。内科,婦人科,小児科,眼科のほか,骨折や脱臼の治療にも通じていたと伝えられ,現在の外科学や歯科の知識も持っていたようである。その序は1337年に書かれているが,古来の医方があまりに多く「一証而百方具」というありさまであるので,これを『聖済総録』の分類に倣って13科に分け,5代にわたって伝えられてきた秘方を加えてこの本をまとめたと書かれている。 序文が書かれてから8年ほど後,江西医学太医院の審査を経て至正5年(1345)『世医得効方』は刊行された。自身も医学教授を務めていたといわれ,代々続く医師の家の人物が,わが家に伝わる秘方と文献とを駆使して,後学のためにわかりやすい医書を編纂しようと思い立ったというところであろうか。