- 著者
-
宮澤 武
- 出版者
- 日本スポーツ社会学会
- 雑誌
- スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
- 巻号頁・発行日
- vol.26, no.1, pp.59-74, 2018-03-30 (Released:2018-04-06)
- 参考文献数
- 38
競争を基本原理とするスポーツにおいて、勝利することに多様な価値が付随し、「負け」はマイナスの側面しか持ち合わせないようにみえる。しかしながら、新聞等のメディアによって「負け」はプラスの価値を付与され取り上げられる。こうした矛盾ともいえる事態を解明するため、新聞記事が「負け」をどのように取り上げているかを分析し、なぜ「負け」にプラスの価値が付与されるのかを明らかにすることが本稿の目的である。 本稿において分析対象とした記事は、戦後から現在(1946~2016年)までの読売新聞東京朝刊から、スポーツにおける「負け」を取り上げたものとした。国立国会図書館の新聞記事索引データベース「ヨミダス歴史館」と「日経テレコン21」を利用し、「負け」を見出し語に検索し、4,407件の記事を得た。スポーツにおける「負け」は批判すべきものか、もしくは称賛すべきものか、そして新聞記事において「負け」が批判および称賛される際、どのような側面に価値が見出され、語られているかに注目し、ドキュメント分析を用いて分析を進めた。 分析の結果、闘志や根性などの“精神論”を「負け」と結びつける状況が読み取れた。こうした状況は、「負け」を捉える記事と「負け」を称賛する記事の両方にみられた。また、努力や鍛錬などの用語に象徴される「厳しい練習」を称えることで、「負け」をポジティブに語る状況が浮き彫りになった。こうした価値観の背景には何があるのかを、日本人のスポーツ観の特徴と関連づけて考察した。新聞記事においてそうした価値観を継続的に語ることには(a)日本人の伝統的アイデンティティを再生産する機能と、(b)競争社会において生産された敗者を救済する機能の2つがあるのではないかと考えられる。