著者
岡田 桂
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-48,106, 2004

英国や欧州におけるサッカー・リーグの試合では、時おり、男性選手同士がキスし合うパフォーマンスが見受けられる。こうした行為は、ゴールを決めた際の感激の表現として理解され、受け入れられてはいるが、通常想定される「男らしさ」の価値観からは逸脱している。近代スポーツは、その制度を整えてゆく過程で、男らしさという徳目に重点を置いた人格陶冶のための教育手段として用いられてきた経緯があり、サッカーを含めたフットボールはその中心的な位置を占めていた。それではなぜ、男らしさの価値観を生みだしてゆくはずのサッカー競技の中で、「男らしくない」と見なされるような行為が行われるのだろうか。この疑問を解く鍵は、近代スポーツという制度に内在するホモソーシャリティにある。男らしさの価値観を担保するホモソーシャリティは、異性愛男性同士の排他的な権利関係であり、女性嫌悪と同性愛嫌悪を内包する。サッカーをはじめとするスポーツ競技は、ジェンダー別の組織編成によって制度上の完全な女性排除を達成しており、もう一方の脅威である同性愛者排除のために、ホモフォビアもより先鋭化された形で実践されている。こうして恣意的に高められたホモソーシャルな絆によって、スポーツ界は通常の男らしさ規範に縛られない自由な表現が許される場となり、キスのような、通常であればホモソーシャリティの脅威となり得るホモセクシュアリティを仄めかすようなパフォーマンスも可能となるのである。つまり、こうした行為は「自分たちは同性愛者ではない」という確固とした前提に基づいた、逆説的な「男らしさ」の表出であるといえる。また、男性同士のキスという全く同一の行為が、プロ・サッカーという特定の文脈では「男らしさ」を表出し、他の文脈では正反対の意味を構成するという事実は、ジェンダーというものが行為によってパフォーマティヴに構築されるものであり、ジェンダーのパフォーマンスとそれが構築する主体 (不動な実体) との間の関係が恣意的なものであること、即ち、行為の実践によってそれが構築する主体をパフォーマティヴに組み替えてゆくことができる可能性を表しているといえる。
著者
西村 秀樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.5-20, 2016-10-05 (Released:2017-10-05)
参考文献数
24

大相撲は、スポーツらしからぬ部分を持つ。その最たるものは、「立ち合い」である。「阿吽の呼吸」で立つとか、「合気」で立つというように、当事者同士の相互主観的な一致の「とき」に、立ち合いは成立する。近代スポーツに見られる判定の客観的合理化の流れとはまさに逆行している。この点は、大相撲の伝統的「芸能性」と関連している。 スポーツらしからぬ部分は、明治・大正から昭和の戦前にはもっと多くあった。それらは近代的スポーツとしての未成熟さをあらわすと言えば、確かにそうであるに違いないのだが、大相撲がスポーツとして公正な勝負の論理を志向したのではなく、「祝祭」であったことが考慮に入れられなければならない。当時の国技館は、まさに「祝祭空間」であった。その「祝祭性」の充満には、近代スポーツからすればまさに未成熟に他ならないルールの「曖昧さ」や、力士の賤視される「芸人」としての身分が寄与したのである。これらが、観客を能動的な主役として熱狂させたのである。 この「祝祭」としての大相撲が「スポーツ化」していくプロセスは、興味深い。中世のヨーロッパ各地でおこなわれたフォークゲームとしてのフットボールにおいては、その近代的スポーツとしての発展の経緯は、広範囲での大規模な国際的な試合を可能にするために統一組織・統一ルールが出来上がるという内的発展の論理に求められる。それに対して、大相撲の近代化は外的・社会的状況によって推進されたのである。協会の財団法人化による品位向上・天皇賜杯認可による権威づけと、天皇制ファシズム推進による国民生活全般の「厳粛化」のなかで、大相撲の礼儀作法や観戦態度が「神聖化」されていく一方、取組や裁定にあった「曖昧さ」は排除され、公正な勝負の論理が支配的になり、ガチンコ勝負としてスポーツ化が推進されたのである。
著者
高橋 豪仁
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.53-66, 1994

本研究の目的は、スタジアムにおけるプロ野球の集合的応援には、どのような型が繰り返し行われているかということを儀礼の観点から明らかにすることである。広島東洋カープの応援を事例として、広島市民球場で行われたナイトゲーム9試合を観察し、応援行為に共通して見られる型を見い出し、そこで用いられている応援のリズム・パターンを北沢の理論を援用して象徴=構造論的に検討した。この研究によって次のことが明らかになった。(1) スターティングメンバー発表時の応援、1回表前の選手のコール、攻撃前の三三七拍子や7回攻撃前の風船飛ばし等、ゲームの時間や空間の境界をしるしづけるものとして、応援がなされていた。また得点、出塁、アウトを取る等のゲームの状況に合わせて、一定のパターンで、太鼓や鐘が打たれ、トランペットや笛が吹かれ、メガホンが打ち鳴らされた。応援行為の定式化と反復性が可能となるのは、スポーツの進行そのものが特定のルールによって秩序づけられていることによる。(2) 集合的応援行為において応援団は重要な役割を果たしていた。ライト側応援団、センター側応援団、レフト側応援団は、各選手のヒッティングマーチを互いにタイミングを合わせて演奏した。応援団はフィールドからのゲームの進行状況に関する情報を用いて、観戦者たちの集合力を喚起していた。(3) 応援で用いられるリズムの基本型は、農耕儀礼で用いられる「ビンザサラ」のリズムと同じであった。また、リズムの型は3拍と7拍が核となり、女性のジェンダーを表象し、現世から神々への報告である「打ち鳴らし」の形態をとっていた。このことは、プロ野球の応援において、豊饒を願う農耕儀礼と同じように、自分のチームの勝利をかなえようとして行う、日本の神話的思考に基づく呪術的な行為が表出されているということを示唆しているのかもしれない。
著者
谷口 雅子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.75-86,152, 2003-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
39

本研究は、スポーツが移入された明治・大正期に注目し、規範の生成という観点からみた、スポーツの場におけるジェンダーの生産・再生産の過程を明らかにすることを目的とする。その際に、これまでのセックス/ジェンダーという二元論的思考ではなく、男あるいは女というカテゴリーの生成自体を歴史的・政治的出来事として捉え、むしろそれが起きた状況やその効果を分析の対象とする。そして、そもそも男と女という区別は、妥当/非妥当という形で他者から教育されたものと考える。妥当/非妥当の形式による区別の操作という意味での規範の生成過程については、身体どうしのコミュニケーションから超越性が生じ社会的な意味や規範が定まっていくというプロセスに関する大澤理論に依拠している。分析の結果、スポーツの逸脱性を抑制する上で男女を差異化する必要性が増した時、それぞれの行為を限定する言説が形成され、ジェンダーが生産されていった過程が明らかになった。また、スポーツを教育的に行うことは、他者との直接的コミュニケーションから生じる志向性の連鎖から、行為の妥当性を一致させることが容易になり、ジェンダーが再生産されていく非常に有効な場となり得ることが明らかになった。
著者
西原 茂樹
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.69-84, 2013-09-30 (Released:2016-08-04)
参考文献数
12

本稿の目的は、明治末期から昭和初期にかけての甲子園野球関連言説を読み解き、当時において「甲子園野球」という独特の対象が構築されていく有様を明らかにすることである。 「純真」は1920~30年代の甲子園野球関連言説において頻繁に使用された用語である。これは当初は主催者である新聞社により、選手や関係者が努めて遵守すべき「標語」として位置づけられており、必ずしも甲子園野球のあり方そのものを表現するものではなかった。しかし1920年代半ば以降、様々な論者が最高峰たる東京六大学野球と対比しつつ甲子園野球を言説化していく中で、「純真」は六大学野球とは一味違うこのイベントの魅力を表現し得る用語として捉え直され、その結果、それを核として定型化された一連の「物語」が構築されることとなった。 そこから窺えるのは、存続の危機に晒された明治末期の野球界が生き残りをかけて確立させた「規範」としての「青年らしさ」が、草創期の甲子園大会の運営においても重要な前提となっていたこと、そして昭和初期に商業化の一途を辿る六大学野球への批判が拡大する中で、「青年らしさ」を正しく体現し得る「他者」として甲子園野球を捉える見方が定着し始めたことである。
著者
ドネリー ピーター キッド ブルース トンプソン リー
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.15-24,118, 2006-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

本論文で、われわれは国際オリンピック委員会 (IOC) が主張するスポーツに対する道徳的権限を考察し、それがスポーツに明白で建設的な影響を与えた領域を特定する。また、われわれは1999年を改革の重要な時期とみなし、それ以来の進歩的な改革の勢いに則って、スポーツが直面する重要な問題に取り組むことによってIOCはその道徳的権限をより確かなものにすべきである、と提案する。その重要な問題とは、IOCの運営に関する内部の問題と、スポーツとオリンピック大会に関する外部の問題に分けられる。提案される内部の改革は、IOCの民主的組織 (特に委員資格や地域の代表制や説明責任に関するもの)、IOC会員の男女公平、オリンピック・ソリダリティの試み、そして国内オリンピック委員会の責任に関するものである。提案される外部改革は、スポーツ界における児童の公正な扱い、スポーツ・ユニフォームや用具の製造過程における公正な労働慣行の導入、選手の健康と安全への一層の関心、そしてオリンピック大会の開催地への影響と公平さについての独立した評価の導入、に関するものである。
著者
小笠原 博毅
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.35-50, 2016-03-25 (Released:2017-03-24)

イギリスのカルチュラル・スタディーズはどのようにサッカーというポピュラー文化に着目し、それを真剣に研究の対象やテーマにしていったのか。サッカーのカルチュラル・スタディーズがイギリスで出現してくる背景や文脈はどのようなものだったか。そして、現在のカルチュラル・スタディーズはどのようなモードでサッカーを批判的に理解しようとしているのか。本論はこのような問いに答えていきながら、過去50年に近いサッカーの現代史とカルチュラル・スタディーズの関係を系譜的に振り返り、その概観を示すことで、これからサッカーのカルチュラル・スタディーズに取り組もうとする人たちにとって、サッカーとカルチュラル・スタディーズとの基礎的な相関図を提供する。 その余暇としての歴史はさておき、現代サッカーの社会学的研究は、サッカーのプレーそのものではなくサッカーに関わる群衆の社会学として、「逸脱」と「モラル・パニック」をテーマに始まった。 地域に密着した男性労働者階級の文化として再発見されたサッカーは、同時に「フーリガン」言説に顕著なように犯罪学的な視座にさらされてもいた。しかし80年代に入ると、ファンダムへの着目とともにサッカーを表現文化として捉える若い研究者が目立ち始める。それはサッカーが現代的な意味でグローバル化していく過程と同時進行であり、日本のサッカーやJ リーグの創設もその文脈の内部で捉えられなければならない。 それは世界のサッカーの負の「常識」であり、カルチュラル・スタディーズの大きなテーマの一つでもある人種差別とも無縁ではないということである。サッカーという、するものも見るものも魅了し、ポピュラー文化的快楽の豊富な源泉であるこのジャンルは、同時に不愉快で不都合な出来事で満ちている。常に変容過程にあるサッカーを、その都度新たな語彙を紡ぎながら語るチャンネルを模索し続けることが、サッカーのカルチュラル・スタディーズに求められている。
著者
リー トンプソン
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.21-36, 2008-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
13

本稿の目的は、日本のスポーツメディアにおける「日本人種」言説を浮き彫りにすることである。2007年に、黒人選手の身体能力に対するステレオタイプを有害な神話として批判するホバマンの翻訳本が出た (Hoberman, 1997)。この本は、人種は生物学的なカテゴリーなのか社会的なカテゴリーなのかという、欧米における人種論争を起点としている。人種に関してホールは「言説的な立場」をとる。人種とは、人類の無限の多様性を整理するための言説上の概念である、という。深刻な人種問題を歴史的な背景に、欧米の人種論争は主に黒人を中心として展開されている。日本において人種が話題になる場合も、その欧米の論争を反映して黒人問題が中心になることは多い。そのため、日本において主流といえる人種言説は見逃されやすい。日本における主流の人種言説とは、外国人と区別した「日本人種」を想定する言説である。本稿では、ホールの「言説的な立場」から人種をとらえる。本稿の目的は、いくつかの事例を分析することによって日本のメディア、特にスポーツメディアにおける一つの主流の人種言説である「日本人種」言説を浮き彫りにすることである。書籍、広告、そしてテレビ中継、多様なメディアからの事例を取り上げる。テクストに登場するスポーツ種目は欧米発祥の陸上競技と日本古来の大相撲である。テクストの分析を通して、「外国人」を対照として日本人には共通した「身体特性」があるという人種的な考えを浮き彫りにする。そしてその人種が及ぶ範囲やそれが持つ意味などは、テクスト間、あるいは同じテクストのなかにも一定していないことを指摘する。
著者
清水 泰生 岡村 正史 梅津 顕一郎 松田 恵示
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.25-45,119, 2006

本稿は、平成15、16年度の2年間にわたり、本学会において設置された「スポーツとことば」に関するプロジェクト研究報告である。最初にテレビのスポーツ実況中継の特長について整理をした。そして、札幌オリンピックと長野オリンピックの純ジャンプ競技の中継を文字おこししたものを基に両者に違いがあるかどうかを調べた。札幌は文の形 (主語+述語) がしっかりしているのに対して長野は述語の反復の表現が目立つなどの違いが見られた。このことを踏まえて考えると1972年から1998年の間に実況中継に変化があったと考えられる。次に、この変化を説明するために、プロレスと「古舘伊知郎」という問題に着目してみた。プロレスはスポーツにとって周縁的な存在である。近代スポーツが真剣勝負を追求することによって抜け落ちた要素を体現したからだ。古舘伊知郎は1980年代初頭にプロレスの虚実皮膜性を過剰な言葉で表現し、それ自身虚実皮膜的な「古舘節」を創った。プロレス実況を辞めた後の彼は主として芸能畑をフィールドとしたが、舞台でのトークショーの試みの中で新境地を開き、今ニュースキャスターとして、「古舘節」を抑える日々を送っている。そして最後に、我々は1980年代における新日本プロレスブームと古舘節の、ポストモダン的文脈について考察した。周知のようにプロレスは80年代に再びテレビ文化の主役に踊り出たが、それはかつての力道山時代ような大衆文化としてではなく、若者を中心としたサブカルチャーとしてであった。そして、1980年代における状況は、その後のポストモダン状況に比べればほんの入り口に過ぎず、東浩紀も指摘するように、日本の若者文化は1996年以降、ポストモダンの新たなる段階へと突入する。そうした中80年代型スノッブ文化の申し子とも言うべきプロレスは埋没し、古舘節だけがプロレスという本来の文脈を離れ、スポーツ観戦のサブカルチャーにおける、ある種の「萌え要素」として機能することとなったのである。
著者
柏原 全孝
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.51-62, 1996-03-19 (Released:2011-05-30)
参考文献数
11

プロレスはなぜスポーツではないのか。現実にプロレスはスポーツとしての扱いをされることはほとんどない。外見上はいかにもスポーツであり,「プロスポーツ」上として認知されるのにふさわしい人気規模をもっているにもかかわらず, プロレスはスポーツではない。この問題に, プロレスの内的特性から引き出された解答を与えることは簡単ではある。「プロレスは八百長だ」と言い切ってしまえばスポーツとして扱われない解答を得られたかのように錯覚できるからである。しかし, それではプロレスを真に論じたことにはならない。プロレスを「演技」という側面で捉えたところで, 現実にはプロレスが「芸能」として扱われたりしないからだ。すなわち, プロレスがスポーツでも芸能でもない根拠を見いだせない限り, プロレスを論じたことにはならない。そこで, プロレスを外的に, すなわちスポーツの側から位置づける論理を検討する。近代スポーツ成立のメルクマールをルールの明文化という点において捉えることで, 我々は近代スポーツの特有の困難を発見する。それは, 客観的でなければならないはずのルールが, その正反対の性格, 恣意性と偶然性を生まれながらもっていることである。この外傷的要素を抑圧することでルールは権威とともに現れることができる。ところが, 抑圧された恣意性と偶然性はルールを適用する場面において, レフリーの判断, 振る舞いを通じて再び現れる。プロレスにおいても, レフリーの判断, 振る舞いを通じて恣意性と偶然性が現れる。その意味でプロレスは完全にスポーツと同一である。しかし, プロレスはレフリーが過剰に恣意的に振る舞うことで, スポーツにおいて嫌悪される恣意性と偶然性の出現を露骨に暴露する。つまり, プロレスはスポーツに特有の汚点を公然と見せつけるがゆえにスポーツから排除されるのである。そして, プロレスはこの過剰なまでのスポーツ的性格ゆえに, 芸能とも見なされないのである。
著者
有元 健
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.45-60, 2015

本論は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催を契機として新自由主義的な国策と都市形成が結びつきヘゲモニーを構築するあり方を、東京大会招致から決定後の諸言説・表象を素材として分析し批判するものである。本論はまず、「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」という招致スローガン及びポスターを記号論的に分析する。そこでは領土的な意味合いを視覚的に連想させる「日本」ではなく音声化された「ニッポン」という記号が用いられることによって情緒的なナショナリズムが喚起されると同時に、東京という個別的な都市が「ニッポン」に置き換えられることによって、個別の利益が全体の利益を代表=表象するというヘゲモニー構造が自然化される。本論は次に、東京大会開催決定後のエコノミストや都市政策専門家の新自由主義的言説の中で2020年東京大会がグローバル・シティとしての東京の都市開発戦略にどのように奪用されているかを分析する。そこではオリンピック開催を契機とした都市開発をめぐるユーフォリアがたきつけられながら、アベノミクスの経済政策と東京一極集中化が肯定されていく。だがそうした都市開発や経済政策の受益者は階級的に選択されたものとなる。本論は最後に、そこで語られるオリンピック・パラリンピック開催の「夢の力」が、現実にはどのような結果を導きうるのかを2012年ロンドン大会の事例を参照しながら批判的に捉えていく。レガシー公約とは反対に、ロンドン大会が生み出した都市のジェントリフィケーションは貧困層を圧迫し、またスポーツ普及は全体として進まず、参加者の階級的格差が広がっている。「夢の力」を当然のように期待し、それが良きものだと前提することは、オリンピック・パラリンピックというスポーツ文化を奪用しようとする限られた一部の特権的な受益者を批判する視点を失うことになる。
著者
栗山 靖弘
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
pp.25-02, (Released:2017-01-31)
参考文献数
21

高校時代の運動部活動の実績が評価されて大学に進学する人びとがいることを、我々は経験的にも認知しており、スポーツ推薦によって大学に進学するという現象は、特に珍しいものではない。 しかし、スポーツ推薦による進学先がどのように決定されるのかというメカニズムに関しては、実証的に明らかにされていない部分が多い。 そこで本稿では、大学入試におけるスポーツ推薦を進路決定の仕組みのひとつと捉え、当該試験を利用した進路形成の特徴を明らかにした。具体的には、ある私立の強豪校野球部を事例とした、スポーツ推薦を利用した進学先決定のメカニズムの解明である。強豪校運動部のスポーツ推薦による大学進学は、高校と大学の指導者間の関係によって規定されており、いわば、指導者の人脈を経由した進学先の決定が行われている。このことを、野球部員と指導者へのインタビュー調査と、部員の進路先が把握可能な個票という、経験的なデータを用いて示した。 はじめに、全国の私立大学におけるスポーツ推薦入試の実施状況を、マクロ・データによって概観し、続いて事例研究から、進学先決定のメカニズムを描き出すという順序をとった。 これらの作業を通じて、強豪校運動部員の進路形成が、部活を通じて行われていることを明らかにした。そして、最後に、部活を通じた進路形成が重視される理由として、その進路形成機能自体が強豪校の存立基盤であることを示した。先行研究では、一般的な学校の運動部活動を成り立たせるのは「子どもの自主性」であるとされてきたが、強豪校を成立させる基盤については明らかにされていなかった。本稿の知見により、強豪校を成り立たせているのは、部活を通じた進路形成機能であることを主張した。
著者
東元 春夫
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.95-101, 1994

この研究はスポーツの社会における「言いわけ」を分析することにより、その社会における「正当な」社会ルールの本質をさぐろうとする試みである。通常「言いわけ」は失態のとりつくろいなど事後的に行われる副次的自己防衛行為であるが、逆に最初に社会的に蓄積された「言いわけの在庫」があり、それに触発されて行為が行われることも多い。ここでは1991年の新聞紙面に現れたプロ野球の契約更改交渉事例を対象に分析を行った。中日・落合選手による「夢」や「子供たちの野球離れ」「世間を騒がせたくない」という発言および調停委員会の (持込み続出)「懸念表明」には日本のプロ野球界の旧態依然とした体質が見られアメリカとの文化的相違が対照的である。スポーツの集団および下位集団には「言いわけ」の在庫が存在し、それらはその集団の成員によって学習され共有されるとすれば、スポーツ独自の、あるいはそのスポーツが行われる社会独自のボキャブラリーが存在するものと推察される。
著者
チョン ヒジュン トンプソン リー
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.17-24, 2007

本稿は、2002年サッカーワールドカップが韓国社会にもたらした劇的な社会政治的影響を分析し、それに基づいて2006年大会を考察する。2002年ワールドカップ大会は保守的な影響と進歩的な影響、という両方の逆説的影響があった。韓国代表チームの成功とその結果として生まれた応援は、長らく権威主義と家父長制的保守主義に支配されていた韓国に、革新的政権が誕生する決定的な要因であった。ワールドカップは階級や地域や性別などに分裂していた韓国社会を統合することができた。しかし、その統合はナショナリズムによるものであった。韓国代表の勝利によって引き起こされた狂気は、一部の知識人にはファシズムの現れとみなされた。レッドデビル現象の特徴は盲目的な愛国主義と歪曲されたナショナリズムが、政治的無関心を煽り個人の主体性を抑制する群集心理であった。それに加え、開催期間中に起こった多くの重要な政治的社会的出来事は、メディアによって無視され、忘れられたりもした。2002年に比べて2006年ワールドカップは、それと違う体験を韓国の人々に与えた。代表チームが勝ち進むにつれて国中が次第に熱狂していった2002年に対して、2006年には開催の数ヶ月前から様々な問題が出始めた。特に、民間放送局による全面的放送はチャネルを選ぶ権利を視聴者から奪った。メディアと資本とスポーツの三角同盟には研究しなければならない問題がたくさんある。
著者
角田 聡美
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.73-85,129, 2000-03-20 (Released:2011-05-30)
参考文献数
52
被引用文献数
1 1

女子体育史研究では, 体育が女性を解放したという視点からの研究が多い。ところが, 現在の体育における男女別習が男女の身体差を前提にしているという事実は, 身体という視点からみた場合, 体育が男女の性差を肯定してきた側面を示唆する。しかし, 女子体育史研究の中で女性の身体を視野に入れた先行研究はあまりに少ない。そこで, 本研究は, 明治期における女子体育の展開について, 身体をめぐる政治という観点から歴史社会学的に分析し, 女子体育研究の再検討をする。体育に直接関わる資料からは, 女性の身体への政治に関する知見があまり得られないため, 衛生観念が女性に性別役割を固定化し, 女性の身体を男性から差異化して性的な意味を付与したという先行研究をてがかりに, 女性が中心となって発刊した, 女性のための衛生知識啓蒙雑誌である『婦人衛生会雑誌』を資料として用いた。その結果, 衛生知識の普及に伴って, 女性の身体は健康な子どもを産むための健康な母体とされた。こうした強健な女性の身体は旧来の美人像と対立していたのだが, 富国強兵政策の下, 日本人種の改良が強調されたこともあり, 体育によって女性の身体を健康にする方向へと進んだ。その過程では, 運動に適さない女性の服装, 月経, 運動する女性を揶揄する御転婆などいくつかの阻害要因が存在したが, 健康な母体を作るための女子体育は, 国家がかりで強力に押し進められた。つまり, 国家政策として女性の身体は, 衛生知識を基に体育という方法を通して, 健康な母体であることを運命づけられたのである。以上のことから, 女子体育は女性の身体に性別役割を刻印したという新たな視角を提示できたものと思われる。また, こうした女性の身体観と体育の役割を女性たち自身も支持していたことが明らかになった。
著者
田中 研之輔
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.46-61,150, 2003-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
47
被引用文献数
1

わが国の都市空間において湧出してきた若者の「族」文化は、しばしば、地域住民や警察によって管理や排除の対象にされてきた。そこで本稿は、都市空間の利用をめぐり地域住民のまなざしや警察や警備員による管理が「ストリート」でのスケートボーダーの実践を制限し、彼らを都市広場に囲い込んでいるという90年代以降の都市的現象に注目した。具体的には、スケートボーダーとして2001年5月27日に土浦駅西口に開設した広場を利用しながら重ねてきたフィールドワークをもとに、90年代以降の「族」文化としてスケートボーダーが示しつつある「巧みな実践」の意味と意義を明らかにした。広場設置の背景には、スケートボーダーが地元のスケートボードショップ店長と署名活動を展開し、市議会議員と協力し陳情書を提出するという試みがあった。こうしたスケートボーダーによる積極的な都市広場の獲得は、同時に彼らの実践を都市広場へと囲い込むことにもなる。広場の獲得と囲い込みの中で日常的な実践を続ける彼らは、広場を自分たちが楽しめる空間に創り変えつつ、再び「ストリート」へと駆り立てられていく。彼らは地域住民や警察らによる管理や排除の圧力をかわしたり、ズラしたりしながら都市空間の「隙間」を探し求めているのである。このようなスケートボーダーの実践は、地方自治体や警察らによる「囲い込み」とそれに対する「対抗」「抵抗」図式で捉えることができない。彼らは、管理や排除に直接的に抗うのではなく、むしろ巧みに受け入れていく。本稿を通じて、筆者はスケートボーダーの日常的実践に従来の「対抗」「抵抗」図式では語りきれない彼ら一人一人の生を描き出していくとともに、「支配的なるもの」の圧力を無効化していくような「巧みな実践」を続ける彼らに新たな「連帯」の可能性を見出している。
著者
高尾 将幸
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.59-70,121, 2006

〈身体〉が権力の対象となることを、近代への転換のメルクマールとしたのは、他ならぬミシェル・フーコーの功績だった。体育・スポーツもまた、彼の指摘する規律=訓練権力の一端を、国家の制度的教育として担ってきたのだった。しかしフーコーが切り開いた〈身体〉の政治技術に関する議論は、抽象的なものに終始するのではなく、近年の政策的動向や人々の実践を踏まえたうえで再考される必要があるのではないだろうか。こうした問題意識から、本稿では「健康」とスポーツが交差する地点として高齢者の健康増進施策における事例調査を行った。健康増進施策から誕生したT会の人々は、単に健康不安に煽られ、メディアの提示する公準や理想的な「健康」観を追い求めているのではなかった。そこでは、参加者の暮らす地域の歴史性や構造的要因が存在し、それは同時に参加を規定する要因ともなっていた。また、〈身体〉に病や「老い」を生きる彼らは、同時に教室に「楽しみ」を見出していた。薄れていった共同性への郷愁、自らの〈身体〉をお互いに確認しあう場として運動教室が存在していたのである。しかし、それは同時に彼らの「隠す」という行為と表裏の関係にあった。そして、こうした人々の実践が、現在の政策的動向を支えていくことを示した。結論として、〈身体〉の政治についての視角として、フーコーの提示した「生-権力」論を敷衍させつつも、変動する政策的動向と、それを支えていく人々の歴史や関係性の記述から再考することの必要性を論じた。
著者
石坂 友司
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.60-71,136, 2002-03-21 (Released:2011-05-30)
参考文献数
44
被引用文献数
3

本稿の目的は,「学歴社会」における運動部の社会的意味を描くことである。明治時代中期に, スポーツはもっぱら将来のエリートたる高等教育機関の学生達によって行われていた。特に, ボート競技は当時最も人気を博したスポーツであった。戦前, 我が国の教育システムの中で最高権威を誇った帝国大学は, そのような活動の中心的存在であった。従って, 我が国のスポーツ文化の総体を理解するために, そこで行われたボート競技がどのような意味をもっていたのかについて考える必要があるだろう。本稿は, 帝国大学生がボートを漕ぐ実践を把握するために, 文化的再生産論の視角から以下のような考察を試みた。第一に, 帝国大学でボートを漕ぐことは, 他者とは異なる卓越した文化資本, 身体資本を獲得する「文化の正統性」をめぐる闘争としてとらえなおすことができる。結果として, それが階級の再生産につながっていくことを論じた。第二に, 帝国大学や一高における運動部, 特にボート部の学校内での覇権が応援の加熱やバーバリズムの結果として失われていく過程を示唆した。以上のように, 本稿はこれまであまり注目されてこなかったボート部に焦点を当て,「スポーツの文化性」をめぐる議論を, スポーツ社会学のみならず, 社会学や歴史学との接合から問いなおす試みである。
著者
中川 敏子
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.81-89,110, 2004

これまでの日本におけるスポーツとジェンダーに関する研究の多くは、ステレオタイプに基づいた女性選手像とそれを報道するマスメディア批判に終始している。女性たちは、歴史的にスポーツの発展に貢献していることが明らかにもかかわらず、表象においては、保守的な男女の性役割に基づいた言説におしとどめられてきた。フィギュアスケートは、かつて男性のスポーツとされていたが、女子選手が進出し、今日では女性のためのスポーツとさえ言われている。こうしたなかで、女子選手がどのように表象されてきたのかを分析することは重要と思われる。本論文では、1920年代から1930年代に活躍し「銀盤の女王」と呼ばれたソニヤ・ヘニーを取り上げる。彼女の氷上での功績および映画での役柄、実人生を見ながら、女子フィギュアスケーターがどのように表象され、どのように位置づけられてきたのかを歴史的コンテクストに着目して考察する。まず、1900年以降においては、フィギュアスケートの発展に貢献した4人の女性たちに着目し、彼女たちの功績があってヘニーの活躍が可能になったことに言及する。つぎに、1930年代にヘニーが出演した映画作品6本からヒロインの表象のされ方を明らかにする。それによって、「銀盤の女王」のステレオタイプがどのように形成されたのかを分析する。そして、どのように新しい理想の女性像が出現し、その一つであったはずの「銀盤の女王」が保守的で伝統的な男性中心の思想により歪曲されてしまったのかを論じる。