著者
宮良 高弘
出版者
札幌大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

津軽海峡を挟む北海道側と本州側は、いわゆる異文化が相互に接する周辺地域(marginal area)であった。津軽海峡文化圏域を中心に、北方民族およびそれが担う生活文化が本州のどの地域にまで及び、また本州側の母村を異にする人々によって北海道にもたらされた生活文化が津軽海峡を隔てて北海道側のどの地域にまで及び、どのように複合・重層しているかを、機能から逆照射して探るのが本研究の目的であった。この地域は、(1)北方民族と和人が担う異文化が相互に接触する地域であり、遺跡から出土する遺物や、地名、民具などからその共通性が把握されている。アイヌのアトゥシは青森県や岩手北部などで近代まで庶民が着用していた。(2)和人相互の内的接触による文化複合がみられる地域である。人々は、にしんを追い弧を描くように、積丹半島、小樽、留萌、羽幌などへと北上し、遠くは礼文、利尻の両島にまで及んでいる。社会構造や網元を頂点とする労働組織は類似し、衣生活におけるドンジャとよばれる労働着、年中行事の食習では、正月のクジラ汁や一月十五日の女の正月のケの汁などが、荒馬踊りなどの民俗芸能や繁次郎に代表される口承文芸が、対岸の青森県各地と共通している。(3)藩制時代以降に、交易によって上方や北陸地方から受容した生活文化の重層構造の共通性である。下北半島の要のむつ市の田名部神社やその周辺にくり広げられている例大祭、江差町の姥神神社、福島町や乙部町など道南西域一円にみられる例大祭の山車に、京都祇園祭りの流れをくむ上方の生活文化の受容が濃厚にみられる。(4)北海道で用いられているデメン(出面=日雇い)という言葉は、お雇い外国人がもたらしたday's menに由来しているとされ、この造語が青森県地方に及んでいる点も無視できない。青森県の船大工は、北海道のにしん場で修行した者が多く、こうした出稼ぎ人による北海道側からの逆移入は、造船などの技術文化においてもみられる。
著者
宮良 高弘
出版者
札幌大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1995

泉・蒲生らは、昭和25年に門別村の富浜、門別、賀張地区の漁業世帯の調査を行い、「北海道移住漁民の人類学的研究(一)-沙流郡門別村における漁村の成立とその生活-」において次のような結果を発表している。(1)漁民人口の50%がすでに三世によって占められている。(2)夫婦の出身県は青森、秋田、岩手、宮城、新潟、富山、石川、福井、三重、兵庫、広島、山口の12県に及び、父母の出身県が同一である夫婦が49.6%、夫婦の出身県が同一である者は17.5%である。(3)「世帯主夫婦とその子」の割合は83%、「その他の直系親族」は12%、「傍系親族」5%であるなどが報告されている。平成7年度の調査では漁村部に限らず、門別町の大部分を占める農村部にも及んだ。漁村部への和人の移住は、内陸部の農村よりも早い。それとの関連で、(1)の漁村部は昭和25年現在で三世であったが、農村部では平成現在で三世代目・四世代目に当たっている。(2)の漁村部は歴史が長く、12県に及ぶ移住者の血縁的混交が繰り返され、東北文化に彩られた函館地方との船による交易が行われる中で、文化の画一化が一層進展している。それに対して、農村部へは明治30年代に越中団体や越後団体は豊郷へ、石川団体は清畠へ、兵庫県淡路島出身者は庫富や幾千世へ多く入地し、移住当初は住み分ける傾向がみられる。農村部における先祖が共通する母村内婚率は、明治末期から大正生まれの移住二世代目の結婚期である戦前までは同県人同士が多い。産業構造の変化にもよるが、(3)との比較において、平成7年度の地域全体の家族形態は、単身世帯が35.6%、夫婦家族が22.5%、夫婦と未婚子が35.6%、直系家族が6%、複合家族が0.1%である。単身世帯は富川や本町などの市街地や牧夫を雇って軽種馬を営む平賀、福満、旭町、豊郷などに多い。夫婦家族は酪農、農業、漁業を営んでいる地域に多い。以上から、内陸農村部においては母村の生活文化は、戦後の昭和30年代まで家ごとに母村の習俗が受け継がれている。例えば、年中行事においては正月のオトシサン、雑煮の形態、七草の叩き菜、農業の予祝行事である地祭り、小正月の小豆粥、善哉などがみられる。更に、民間信仰では四国や淡路地方にみられる地神信仰が顕著であり、春秋の社日に五角形の石に刻んだ地神塔を祀っている。