著者
田口 宏昭 寺岡 伸悟
出版者
熊本大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

相互に関連する以下の三つの研究成果が得られた。(1)日本の近世において、畿内に広く分布していた両墓制についての先行研究及び実地踏査から、埋墓と詣墓という二種類の墓を持つこの制度が、遺骨と霊魂が日本の伝統のなかで必ずしも一体の「存在」として扱われてこなかった事実に注目し、現代の自然葬に顕著な遺骨崇拝に対する否定的態度という要素がこの伝統のなかに含まれていたことを明らかにした。(2)そして他方、同様に近世において、火葬、焼骨の投棄(散骨)、無墓地、無墓参供養の4特性を有する無墓制と呼ばれる葬送形式があったことに注目し、現代の自然葬がこの墓制と形式的な類似性を持ち、無墓制が現代の自然葬の原型であることを明らかにした。(3)散骨の実施現場での参与観察を通して、散骨が無宗教の「宗教的」儀礼として行われていること、すなわち、散骨を支持する人びとが特定の宗教を信じる場合も信じない場合でも、一時的に散骨の場として特定された空間並びに時間が聖化され、散骨の儀礼そのものが自ずと「聖なるもの」として現象してくることを見出した。このような散骨儀礼は、死者の人格自体の聖化を意味するものであり、「墓は心のなかに」という散骨推進団体が掲げるスローガンと響きあうものである。(4)本研究は当初、散骨の行為について「自然葬をすすめる会」の会員たちが語る際に「自然に帰る」という言説を多用しながら他界表象を描いているという事実に基づき、自然葬が自然界の諸物に宿る精霊への信仰として理解されるアニミズムへ回帰する現象である、という仮説を立てて出発した。この仮説を確かめるために「自然葬をすすめる会」の会員315名を対象にして実施したアンケート調査の結果から明らかとなったのは、散骨という行為を通して、死者の霊魂がそれら諸物に入りこみ精霊として存在し続けるという観念は限定的で、むしろ人びとは死後の霊魂を信じないか、あるいは霊魂の存続に対して確信を持たない傾向を示すことが明らかとなり、仮説は否定された。