著者
寺澤 優 (2016) 奈良 優 (2015)
出版者
立命館大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2015-04-24

戦前日本の都市(東京)性風俗を分析し、当時の風俗管理の社会的意義を考察する本研究は、今年度は当初の予定を多少変更し、前年度の成果のアウトプットとともに、芸妓の実態把握・分析と1930年代に高揚する廃娼論の検討を進めた。芸妓については、先行研究を通読した上で、1930年代までの花街が内部でどのように構成され、いかなる問題を抱えていたのかという分析はいまだなされてこなかった事に着目し、それを解明することに努めた。その結果得られたのは、1920年代までに東京の各花街では内部紛争が頻発しており、死者が出るような抗争がおきていたという事実であった。この内部紛争は関東大震災の復興過程で花街指定地と新規参入業者の増加により同者間競争が激化したこと、そしてそれまでの秩序が乱れはじめたことが主な要因であった。つまり、1930年代の芸妓と花街の衰退はカフェーの台頭以前に、すでに内部で大きな構造的問題を抱えており、単純にカフェーの台頭が性風俗産業界の変化をもたらしたのではなかったと結論付けた。また、研究目的の一つである官憲による管理統制は芸者に関しては、非常に緩い取締しか行われておらず、売買春を黙認しているような状態であったということも明らかになっている。次に廃娼論については、労働運動の傍ら大正期に花街・遊郭遊びを経験しながらも、1930年代には廃娼論者となった村嶋帰之の思想を彼の著作を使って追跡した。遊興を通じて、芸妓がブルジョアジーに独占されていることに対し、憤慨しつつも娼妓買い、芸者遊び止められなかった村嶋が遊興を止めるに至ったのは、自身の病気と「遊興が虚弱体質をつくる」という優生学的見地に触れたことであった。そして、「絶娼論」を唱えるが、1930年代のカフェー女給に関しては融和的な姿勢をとり、部分的支援を行ったことが明らかになった。その成果は研究会等で報告した。