著者
小久保 美子
出版者
敬愛大学・千葉敬愛短期大学
雑誌
千葉敬愛短期大学紀要 (ISSN:03894584)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.59-76, 2005-03

わが国の国語教育は、「言語生活論」が主唱されながらも、「言語能力主義」の主張に押され、長らく教科書教材に依存した詳細な読解中心の実践が展開されてきた。その結果、国語学習は生活から離れたものになり、学習の成果が生活に生きて働くものにはなりえなかった。読解力の低下、読書離れ、想像力の欠如、言葉の乱れ、コミュニケーション不全等々、国語の実態を憂うる声を聴いて久しい。このような現実態を考えたとき、子どもたちの言語生活の向上を企図した国語教育の改善は焦眉の課題である。本稿では、国語教育改善の方途として「言語生活論」を確立すべく、手始めに、言語能力主義の理論的基盤の一つとなった時枝誠記の言語生活論に焦点を当て、時枝の論がダイナミズムを内包する言語生活の実態から離れたものにならざるを得なかった根拠を明らかにしていく。