著者
小宮 正弘
出版者
静岡産業大学
雑誌
静岡産業大学情報学部研究紀要
巻号頁・発行日
vol.9, pp.117-127, 2007

大西洋の文字どおり絶海の孤島セント=ヘレナは、ナポレオン最後の流刑の地、彼がそこで没した島として知られるが、その流刑に伴った少数随員の一人ラス・カーズの手になる『セント=ヘレナ覚書』は、ナポレオン没後2年目の1823年に8巻本としてヨーロッパで初刊行され、ナポレオン最後の日々の言動記録、第一次資料として、今日にまで版を重ねている。しかしながらわが国では、そのあまりの大著のゆえか、あるいはその読解にナポレオン時代史の細かな知見をおのずからに要求されるゆえか、またあるいはその信頼性への予断にみちた否定的姿勢のゆえからか、内容の全体に則した紹介、評価は皆無に近いままに今日に至っているとうけとめられる。セント=ヘレナ島でナポレオンに近しく接した人物たちの尊重すべき記録は他にも若干は存在し、それら第一次資料相互の検討が本来的に必要とされるのは言を俟たない。しかしそのためにも、ナポレオン身辺のもっとも近い記録者と目されるラス・カーズの『覚書』を、検討不可欠のものとして、筆者は能うべく客観的に受容し、忌憚のない評価を試み、同学の士の参考に供したいと志した。ただしここに本稿で論述するのは、『セント=ヘレナ覚書』の内容実体に迫る本来的目的への、基礎的部分にとどめる。導入につづけて、著者ラス・カーズについて、そして『セント=ヘレナ覚書』の諸版についてを、まず主な布石として配しておきたいと思う。
著者
小宮 正弘 Masahiro KOMIYA
雑誌
静岡産業大学国際情報学部研究紀要 = Bulletin of Shizuoka Sangyo University
巻号頁・発行日
vol.5, pp.41-52, 2003-02-28

10年にわたるフランス革命期はボナパルトの軍事独裁政権の誕生をもって幕を閉じ、やがて帝政が開始される。本稿はまずその革命に源を発するフランス共和国、ついではナポレオン帝政をめぐるヨーロッパ国際環境の態様から始める。そしてフランス政体の権威化の不可避的必要性を集中的に示すものとして、ナポレオンにより選定された紋章に着目、そのエンブレム(象徴的文様)に古代エジプト王権のしるしを認定することで、ナポレオンの反フランス王政、対ヨーロッパ諸国への抵抗表現を示す。ナポレオンにより採用されたエンブレムは蜜蜂であり、筆者は蜜蜂のエンブレムのフランスにおける系譜を歴史学的にたどる一方、フランス王家代々の紋をなした百合のエンブレムについても考察、それら二つのエンブレムが古代エジプトにおいて対比的に扱われた二つの王権のシンボルであったことを説く。最後に、古代エジプト文明とナポレオンの知見との現実的接点として、彼みずからの18世紀末のエジプト遠征、それに先立ってエジプト王権に関する予備的知識を与えたと思われる諸資料、遠征に随伴した第一級の学術団の現地探査、その主たる成果である大冊大著『エジプト誌』23巻通覧の、諸報告を行い、本稿試論の補助学的操作をはかろうとする。
著者
小宮 正弘 Masahiro KOMIYA
出版者
静岡産業大学国際情報学部
雑誌
静岡産業大学国際情報学部研究紀要
巻号頁・発行日
no.5, pp.41-52, 2003

10年にわたるフランス革命期はボナパルトの軍事独裁政権の誕生をもって幕を閉じ、やがて帝政が開始される。本稿はまずその革命に源を発するフランス共和国、ついではナポレオン帝政をめぐるヨーロッパ国際環境の態様から始める。そしてフランス政体の権威化の不可避的必要性を集中的に示すものとして、ナポレオンにより選定された紋章に着目、そのエンブレム(象徴的文様)に古代エジプト王権のしるしを認定することで、ナポレオンの反フランス王政、対ヨーロッパ諸国への抵抗表現を示す。ナポレオンにより採用されたエンブレムは蜜蜂であり、筆者は蜜蜂のエンブレムのフランスにおける系譜を歴史学的にたどる一方、フランス王家代々の紋をなした百合のエンブレムについても考察、それら二つのエンブレムが古代エジプトにおいて対比的に扱われた二つの王権のシンボルであったことを説く。最後に、古代エジプト文明とナポレオンの知見との現実的接点として、彼みずからの18世紀末のエジプト遠征、それに先立ってエジプト王権に関する予備的知識を与えたと思われる諸資料、遠征に随伴した第一級の学術団の現地探査、その主たる成果である大冊大著『エジプト誌』23巻通覧の、諸報告を行い、本稿試論の補助学的操作をはかろうとする。