著者
小崎 閏一
出版者
志學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

サン=ドニ修道院において遂行された一連の歴史記述作業は周知のところであるが,なかでも怪しげな歴史物語や露骨な偽文書の解釈を巡っては作成者や作成の意図・年代について諸説入り乱れるものがあり,そこから歴史の現実から遊離した途方もない見解が導き出されることもしばしばであった。本研究では,サン=ドニの大市(ランディ)の起源とのかかわりで問題となる『受難聖遺物伝来記』(Descriptio)と,813年の日付を持つ偽シャルルマーニュ証書を考察の対象としたが,それは取りも直さずこれらの史料から歴史的現実を無視した解釈が唱えられてきたからに他ならない。しかしこれらの史料を冷静に検討すれば,従来の解釈とは大きく異なる結論を得ることができるように思われる。シュジェールの言うIndictum exterius in platea, interius enim sanctorum erat, libentissime reddidit.は,「内側(町内)の市は聖人に属するものであるが故に,野原で開かれる町外の市を聖人に返還した」と訳すべきではなく,「内側(修道院内)の祝祭は聖人のものであるが故に,野原で開かれる町外の市を聖人に返還した」と理解すべきである。問題はIndictumの捉え方であるが,シュジェールはこれを本来の意味に近い「祝祭」と,11世紀後半から12世紀初頭にかけて含まれるようになった「市」の両様に取っている。813年の日付を持つ偽シャルルマーニュ証書(DK286)については,12世紀に作成された偽文書という前提で議論されたことから様々な誤解と混乱が生じている。これが史料として初出するのはJ.Doubletの著作(1625)であることから,この偽文書がDoubletによって捏造されたもの,ないしはそれに近い時期のものと考えれば,この証書に伴うあまたの疑念が払拭されるのである。