著者
茶谷 誠一 瀬畑 源 河西 秀哉 冨永 望 舟橋 正真 古川 隆久
出版者
志學館大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

1948年6月から1953年12月までの激動期に初代宮内庁長官を務めた田島道治の資料群(「拝謁記」、「日記」、「関係資料」)を原文から翻刻して活字化し、それぞれ解説を付して出版する。また、資料の出版にとどまらず、編集作業を通して明らかになった事実をまとめ、シンポジウム開催と解説書の執筆により、学界から一般社会まで幅広い層に象徴天皇制形成期の昭和天皇と宮中の実態につき、研究成果を還元していく。
著者
新内 康子 関 正昭 田中 利砂子 プンラープ ナリサラ パッチャラパン コーサンラワット
出版者
志學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

日本・タイ発行の日本語教科書における文法用語の使用実態調査、国内外の日本語教師等に対する質問紙調査を行い、日本語教育用文法用語の使用傾向を明らかにした。出自に関しては、「い形容詞」「な形容詞」について日本語教科書等を分析して再検証をするとともに、「て形」「ない形」「辞書形」といった用語の出自に関して言及している文献についての解題も行った。これらの結果をもとに、統一した日本語教育用文法用語の提案も試みた。
著者
近藤 功行
出版者
志學館大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13460234)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.45-70, 2001-07
著者
緑間 栄
出版者
志學館大学
雑誌
志学館法学 (ISSN:13455893)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.143-162, 2002-02-15
著者
伊牟田 經久
出版者
志學館大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:13460234)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.183-206, 2000-01
著者
岩船 昌起 鈴木 雄清 境 洋泉 木下 昌也
出版者
志學館大学
雑誌
萌芽研究
巻号頁・発行日
2004

体育学・医学等での身体活動に関する成果をスポーツ環境の評価に展開するため,"拍速"という運動効率の新指標を提唱した。拍速は,1拍当たりの移動距離(meter/beat)を示し,酸素脈や一回拍出量と関連する。本研究では,拍速を用いて自転車ロードレースでの"坂"の評価を試みた。実験道路(比高約200m平均勾配0.056)を上る場合,被験者の持久力に応じて約12〜30分かかる。拍速は,スタート直後に急激に減少し,約1〜2分で安定化する。拍速の平均値は,運動強度ごとに若干異なるが,被験者の持久力をほぼ反映する。また道路を急勾配と認める度合やペダルを踏み込む意識との相関が高く,坂の知覚の一面を指標する。一方,約5〜8分かかる下りでは,拍速は,カーブや急勾配でのブレーキによる速度制御のため,持久力よりも技術力と関連し,急勾配の認識や爽快・恐怖感との相関も高い。このように坂の知覚の過程は上りと下りで異なり,道路のアフォーダンスに起因すると思われる。また,上り下りだけでなく,コースの勾配・曲率や被験者の能力に応じた違いも拍速は定量化できる。「ツールドおきなわ市民200km」のコースで,移動地点ごとの拍速は,その地点と約30秒前の地点との相対比高と相関が高い。30秒での移動距離は,勾配や速度との関係から一般に上りで約50m,下りで約400mとなる。200kmコースでは,約70km以降の区間で上記の規模を超える上り下りが連続するため,上りで約50m,下りで約400m先までの勾配・曲率の変化を見越して走行を効率化することが持久力温存の鍵となる。また,約80〜90km区間と約145〜165km区間では,数100m規模の上り下りが周期的に繰り返すため,精神・技術的な素早い切り替えも要求される。ArcGISで上記の成果を基に,霧島市のサイクリングマップなどを作成した。近く大学のWebで公開する。
著者
岩橋 恵子
出版者
志學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

今日フランスの社会教育施設は、民衆教育アソシエーションが担ってきた歴史的土壌の中で、公・私セクターの協働のための制度的整備がなされてきている。そしてそれは、普遍的理念モデルを実施する活動の場ではなく、広く住民に開かれた地域プロジェクトの企画・遂行機関としての性格を担いつつある。そのため、地域の課題と実情に応じての、公・セクターの多様な活動主体が参画するネットワークによる、豊かな公共圏創造が志向・追求されている。
著者
小崎 閏一
出版者
志學館大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

サン=ドニ修道院において遂行された一連の歴史記述作業は周知のところであるが,なかでも怪しげな歴史物語や露骨な偽文書の解釈を巡っては作成者や作成の意図・年代について諸説入り乱れるものがあり,そこから歴史の現実から遊離した途方もない見解が導き出されることもしばしばであった。本研究では,サン=ドニの大市(ランディ)の起源とのかかわりで問題となる『受難聖遺物伝来記』(Descriptio)と,813年の日付を持つ偽シャルルマーニュ証書を考察の対象としたが,それは取りも直さずこれらの史料から歴史的現実を無視した解釈が唱えられてきたからに他ならない。しかしこれらの史料を冷静に検討すれば,従来の解釈とは大きく異なる結論を得ることができるように思われる。シュジェールの言うIndictum exterius in platea, interius enim sanctorum erat, libentissime reddidit.は,「内側(町内)の市は聖人に属するものであるが故に,野原で開かれる町外の市を聖人に返還した」と訳すべきではなく,「内側(修道院内)の祝祭は聖人のものであるが故に,野原で開かれる町外の市を聖人に返還した」と理解すべきである。問題はIndictumの捉え方であるが,シュジェールはこれを本来の意味に近い「祝祭」と,11世紀後半から12世紀初頭にかけて含まれるようになった「市」の両様に取っている。813年の日付を持つ偽シャルルマーニュ証書(DK286)については,12世紀に作成された偽文書という前提で議論されたことから様々な誤解と混乱が生じている。これが史料として初出するのはJ.Doubletの著作(1625)であることから,この偽文書がDoubletによって捏造されたもの,ないしはそれに近い時期のものと考えれば,この証書に伴うあまたの疑念が払拭されるのである。