著者
小林 浩子 田中 ふみ子 松田 知明
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.131-141, 2016-02

本稿では、前稿に引続き、大正15年「幼稚園令」制定期から昭和戦後期までのわが国の幼稚園・保育所の成立過程と制度の変遷と山形のそれとを比較し、検証することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して大正末期・昭和前期・戦中期・戦後期までの幼稚園の設置数は全国に比べて低いこと、増加はほとんどみられず一定数を保ってきたこと、その一方で保育所は、農村地域の乳幼児の託児所と幼稚園機能を併せ持つ施設として地域の共稼ぎ家庭を支えてきたことなどがわかった。このような状況は、本県が独自の「幼・保一元化」の保育を全国に先駆けて実施してきたことをあらわしており、後の時代の「認定子ども園」普及への布石となったと考えられる。
著者
小林 浩子 田中 ふみ子 松田 知明
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.17-27, 2016-02-01

本稿では、前稿に引続き、大正15年「幼稚園令」制定期から昭和戦後期までのわが国の幼稚園・保育所の成立過程と制度の変遷と山形のそれとを比較し、検証することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して大正末期・昭和前期・戦中期・戦後期までの幼稚園の設置数は全国に比べて低いこと、増加はほとんどみられず一定数を保ってきたこと、その一方で保育所は、農村地域の乳幼児の託児所と幼稚園機能を併せ持つ施設として地域の共稼ぎ家庭を支えてきたことなどがわかった。このような状況は、本県が独自の「幼・保一元化」の保育を全国に先駆けて実施してきたことをあらわしており、後の時代の「認定子ども園」普及への布石となったと考えられる。
著者
小林 浩子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.31-37, 2007-02-01

本稿では、トリイ・ヘイデンのノンフィクション小説『シーラという子』の続編ともいえる作品『タイガーと呼ばれた子』を取り上げ、被虐待児に対するより良い教育方法を模索する。この作品では、小学校の特殊学級担任時代に教師として教育にかかわった、問題児であり被虐待児シーラと数年後に再会したトリイが、自らの「癒しの教育」がシーラに与えた影響の大きさと、それがトリイのクラスを卒業した後のシーラ自身に必ずしも良い影響を及ぼしてはいなかったことを、そしてさらなるトラウマを与えていたことを、ティーンエイジャーとなったシーラから指摘され、衝撃を受ける。しかしながらトリイは、そのショックを受け止め、シーラとさらに関わりを持ち続けることで、二人が抱えるトラウマを再認識し、そのトラウマを乗り越える新たな「癒しの教育」を見つけ出す。その過程を、トラウマからの「リハビリテーション」と「ハビリテーション」の違いという視点から考察する。
著者
小林 浩子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.8, no.4, pp.419-427, 2010-02

トリイ・ヘイデンのノンフィクション小説『愛されない子』は、アルコール中毒の母親からネグレクトという虐待を受けて成長した美貌の女性ラドブルックが、彼女自身もアルコール中毒となり、自閉症の一人娘をうまく育てられず、自暴自棄な生活を送っていたさなか、トリイの担任する特殊学級に娘をあずけたことがきっかけで、ラドブルック自身もクラスに関わり、自ら虐待の連鎖を断ち切ってハビリテーションする物語である。 本稿では、虐待を受けて大人になり、みずからも虐待の連鎖に取り込まれて自暴自棄な生活を送る女性が、自らのトラウマに気付き、それを乗り越えていく過程を、トリイの特殊学級が彼女に体験させた「ハビリテーション」の教育という観点から考察する
著者
田中 ふみ子 松田 知明 小林 浩子
出版者
羽陽学園短期大学
雑誌
羽陽学園短期大学紀要 = Bulletin of Uyo Gakuen College (ISSN:02873656)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.63-70, 2015-02-01

平成27年度からこども・子育て支援新制度が実施される予定である。保育制度が大きく変わるこの時期に改めて、わが国の幼稚園・保育園の成立過程と制度の変遷と山形のそれを比較し、歴史を再検証しながら検討することを通して、本県の保育の特徴について検討した。その結果、全国と比較して明治・大正期までの山形県の幼稚園の増加率は低く、子守学級(学校)が幼児教育の多くの役割を担っていたと推察される。明治後期に青木マサが設立した施設は今日まで続いており、現在の養護施設、保育所、幼稚園を合わせたような機能を持ったものの先駆けとなったと考えられる。本県における明治期から大正期までの幼児教育は、教育的機能よりは託児的機能を持つ施設が普及した。このような成立経過は、その後、本県における幼稚園が普及する素地となったと考える。