- 著者
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小林 茂子
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.50, pp.235-257, 2014-09
本稿は、開戦前後すなわち、日米開戦をはさんだ一九三〇年代後半から一九四〇年代初頭におけるマニラ日本人学校の教育活動の内容を検討する。マニラ日本人学校は、戦前期フィリピンの日本人学校十八校のうち(在外指定を受けたのは十六校)、いちばん早い一九一七年に設立され、また、南洋における日本人学校の中で最も現地理解教育に力を入れた学校といわれていた。このマニラ日本人学校では開戦をはさんで、日本軍の占領後、軍政下に至る過程においてどのような変容が見られたか。現存する資料『フィリッピン読本』(一九三八年四月)、『比律賓小学歴史』(一九四〇年三月)、『比律賓小学地理』(一九四〇年五月)、『とくべつ児童文集』(一九四二年八月)を手がかりに同校の教育活動を明らかにすることが本稿の目的である。 この四点の出版物はみな、「発行所 在外指定マニラ日本人小学校」「代表者 河野辰二」となっており、これらの出版物はどんな内容で、またどのような意図で編纂されたのかを、時代背景を吟味しつつ辿ることで、同校の教育活動の変容を探ることができるのではないかと思われる。すなわち、『フィリッピン読本』からは、一九三〇年代後半にマニラ日本人学校が現地理解に基づく教育活動を行っていたことを具体的に知ることができる。その後外国人学校への統制が徐々に強まる中、一九四〇年に入っても現地尊重の姿勢を保とうとする努力をしつつ、『比律賓小学歴史』『比律賓小学地理』が発行されている。しかし開戦後、一九四二年一月三日から軍政が始まると、同校は軍政府に協力的な中心校としての役割を担わざるを得なかった。『とくべつ児童文集』には、「学校ごよみ」が掲載されており、同校の開戦後の教育活動が記録されている。また児童の作文からはその時の心情を窺うことができる。 戦前期の占領地における日本人学校は日米開戦後、軍政府の統制のもと教育活動の大幅な変容を余儀なくされ、最後は戦局悪化とともに閉鎖へとつながっていった。戦争へと進む歴史的動きを追いつつ、在外日本人学校の辿った経緯を、マニラ日本人学校の事例をもとに現存する資料の分析とその背景を通して具体的に考察を進める。