著者
小沢 茂
出版者
愛知淑徳大学
雑誌
愛知淑徳大学論集. コミュニケーション学部・コミュニケーション研究科篇 (ISSN:13463195)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.129-139, 2007

人間の認識は常に信頼できるとは限らない。時として,われわれが「見ている」と思っているものが,実は「見ていると思っている」ものであるような場合がある。建築家のDavid Macaulayは,「学生にスケッチを教えるとき,最初にすることは,見ているものと,見ていると思っているものを区別させることだ」と言う(410)。これは観察者の主観によって客観的事物の認識がゆがめられ,存在しているものではなく,観察者が存在していると思っているものの認識になっていることを示している。こうした,主観によって事実がゆがめられる現象は,はるかに大きなスケールでも見ることができる。歴史の記述はその一例である。歴史とはそもそも歴史家の主観性を抜きにしては語れない。E.H.Carrが指摘しているように,歴史は決して客観的事実の連続ではなく,著者の主観的解釈と密接に関係しており,もし歴史家の解釈がなければ客観的事実だけでは意味をなさなくなってしまうだろう(35)。このこと自体は特に問題ではないのだが,この主観性が肥大してくると,時として,事実を,特定の歴史観にあわせて歪曲し,事実から離れた歴史を作り上げることがありうる。こうなってくると,作り上げられた歴史はもはや事実を客観的に映し出したものではなく,特定の歴史観によってねつ造された虚構の物語になっていくことになる。フランス語の"histoire"が,「歴史」と「物語」の両方を指すように,歴史と物語の境界があいまいになり,区別がつかなくなってしまうのだ。北アイルランドに根強く存在し,1960年代後半から激しさを増してきた,"Troubles"と呼ばれる紛争もまた,「歴史」と「物語」が融合して現れるケースの一つである。中でも,1972年1月30日にデリー市(イギリス側の名称はロンドンデリー市)で起こった,通称「血の日曜日事件」は注目すべきである。これは,公民権運動のデモ行進をしている市民に対して英国軍が発砲,13人の市民が死亡したという事件だが,現在もなお,真相が明らかになっておらず,英国による公式の調査は,英国側の非を隠蔽するための"cover-up,"つまり,事実に基づいていない「物語」であった疑惑がもたれている。アイルランドの劇作家,ブライアン・フリール(Brian Friel)の作品,The Frddeom of the Cityは,「血の日曜日事件」に触発されて書かれ,その中で,北アイルランド紛争の背後で,「歴史」と「物語」がどのように融合しているのかを暴き出している。本論では,The Freedom of the Cityの中で,歴史と物語が一体となった"Histoire"がどのように現れているかを分析する。