著者
小熊 英二
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.524-540, 2000-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
36

本稿は, 日本における共同性と公共性の意識形態を, 国際比較を交えた近代国家形成の歴史的経緯から考察したものである.フランスにおける近代国家形成は, 中央政府主導により, 地方の旧勢力を打破するかたちで進められた.そこでは, 前近代的な地方共同体が否定されることによって, 地域を越えた国家大の共同意識と, 自立した近代的主体意識を合わせ持つ個人=国民が析出され, 地方共同体の前近代的公共性に代る近代的公共性は, 国民=国家に求められるという理念が生まれた.それにたいしアメリカでは, 開拓移民による地域コミュニティの連合体として国家形成がなされた.このため, あらかじめ近代的主体意識を備えている個人= 市民が, 自発的に集合して地域コミュニティをはじめとした中間集団を形成するのであり, 共同性と公共性は主にそうした中間集団で実現され, 国家= 中央政府はそれに介入するべきではないという理念が発生した.すなわち, 前近代的共同体から解き放たれた主体意識を持つ個人が, 従来の共同体に代る近代的な共同性や公共性を実現してゆく場としては, 前者では国民国家が, 後者では中間集団が想定されている.しかし日本の近代国家形成では, 地方や家族, あるいは学校・企業などの中間集団は, 構成員にたいする前近代的ともいえる拘束機能を残したまま, 国家の下部組織として中央集権制と接合されるという経緯をたどった.このため, ここでは個人の主体性確立と共同性の希求は二律背反関係であり, 共同性とは主体意識を放棄した集団への埋没なのであって, 近代的な公共性は中間集団にも国家にも求めえないという意識が広がりがちとなる.