著者
加藤 秀一
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.298-313, 2004-12-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
11

ロングフル・ライフ (wrongful life, 以下WL) 訴訟とは, 重篤な障害を負って生まれた当人が, 自分は生まれないほうが良かったのに, 医師が親に避妊あるいは中絶の決断をするための根拠となる情報を与えなかったために生まれてしまったとして, 自分の生きるに値しない生をもたらした医師に賠償責任を要求する訴訟である.そこでは自己の生そのものが損害とみなされる.しかしWL訴訟は論理的に無意味な要求である.なぜならそれは, すでに出生し存在している者が, 現実に自分が甘受している状態と自分が存在しなかった状態とを比較した上で, 後者のほうがより望ましいということを主張する発話行為であるが, 自分が存在しない状態を自分が経験することは不可能であり, したがってそのような比較を当事者視点から行なうことは遂行的矛盾をもたらすからである.それにもかかわらずWL訴訟の事例は増えつつあり, 原告勝訴の事例も出ている.それだけでなく, WL訴訟と同型の論理, すなわち存在者があたかも非在者であるかのように語る〈非在者の語り=騙り〉は, 裁判以外のさまざまな文化現象の中に見てとることができる.そのような〈騙り〉は, 死の概念を一面化し, 死者を生者の政治に利用することで, 新たな死を召喚する行為である.
著者
笹島 秀晃
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.106-121, 2016 (Released:2017-06-30)
参考文献数
33

都心衰退地区に形成される芸術家街は, ジェントリフィケーションの契機となることが知られてきた. 芸術家の存在は, 不動産開発や飲食業・文化産業の集積を促し, その過程において地価は高騰し居住者階層は移り変わる. 先行研究では, ジェントリフィケーションのメカニズムを分析するにあたって, おもに不動産業者や消費者としての中産階級に注目してきた. ところが, 重要なアクターであるはずの美術作品の展示・売買を行う画廊については十分な分析がなされてこなかった. 本稿の目的は, 芸術家街を契機とするジェントリフィケーションのメカニズムを, 画廊の集積過程に着目して分析することである. 具体的な検討事例は, 1965年から71年の間に芸術家街から画廊街へと転換した, アメリカ合衆国ニューヨーク市SoHo地区である. 芸術家街であるSoHo地区に画廊が集積した要因は, 安価な地価や広い室内空間を備えた未利用の工場建築物の存在だけではなかった. むしろ, ニューヨーク市における美術業界の構造変動の中で, 画廊経営者が自身の美術的立場を明確にする際に準拠した, 芸術家街の表象という文化的要因が重要であったことを明らかにする.
著者
坂無 淳
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.4, pp.592-610, 2015 (Released:2016-03-31)
参考文献数
31

本稿では, 大学教員の研究業績の男女差について分析を行う. 多くの先行研究では, 平均的には男性の業績が多い傾向が示されている. しかし, 研究業績には性別という属性以外に多くの規定要因があり, それらの要因を統制したうえでも, なお性別が規定要因となるかを明らかにする必要がある. そこで, 2010年に日本の地方国立大学で行った調査から, 大学教員の1年間の論文数を従属変数とした統計的な分析を行う. その結果, 単純に平均値を比較すると, 年1本ほど男性の論文数が多い傾向があった. つぎに, 性別に加え, キャリア年数, 研究以外の業務量 (授業担当数や学内会議数), 出張日数, 分野, 職階を独立変数に入れた重回帰分析と, 低い値に偏る従属変数の分布に適合した負の二項分布回帰を行った. その結果, 性別は規定要因とならず, むしろ分野や出張日数が強い規定要因となった. 具体的には, 分野では医歯薬学と比べて, 他分野では少なく (農学は除く), 出張日数が多い人は論文数が多い傾向がある. また, 婚姻や育児状況, それらと性別の交互作用など家族面の要因を独立変数としても, それらは規定要因とはならなかった. 結論として, 他の要因を統制すると, 性別は研究業績の規定要因とならず, 性別という属性に基づく研究業績の差は見られない. くわえて, 出張日数が研究業績に与える影響の大きさと, 多様な状況にある研究者への出張支援の重要さが示唆される.
著者
田野 大輔
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.71-87, 2000-06-30 (Released:2009-10-19)
参考文献数
20

ヒトラーについて語る場合, たいてい「カリスマ的支配」の概念が引きあいにだされるが, ドイツ民衆の目に映じた彼の魅力はけっして「英雄性」にもとづくものではなかった.注目すべきことに, ヒトラーはスターリンと違って自己の全身像をつくらせなかったのであり, それは彼がたんなる独裁者ではなかったことを意味している.ナチ体制下のメディアの全体的関連のなかでヒトラー・イメージを考察すると, 彼は-とくに写真において-むしろ「素朴」で「親しみやすい」人間として提示されていたことがわかる.民衆との近さを表現したこの親密なイメージ, 市民的価値に由来する「ごくありふれた人間」のイメージこそ, ヒトラーの人気の基盤だった.「総統」が体現していたのは, 政治を信頼できる個人に還元する「親密さの専制」 (R.セネット) にほかならず, こうした「罪なき個人性」の衣をまとったカリスマの陳腐さは, メディア時代の政治的公共性のありかたを考えるうえで重要な意味をもっている.
著者
浦野 茂
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.492-509, 2013 (Released:2014-12-31)
参考文献数
22
被引用文献数
1 or 0

本稿は, 発達障害をもつ高校生を対象にした社会生活技能訓練 (SST) においてその参加者たちがこの訓練に抵抗していく事例を検討する. とりわけ本稿は, 社会生活技能訓練とそのなかでの抵抗について, それぞれの実践を組み立てている手続きを記述することを通じ, 発達障害者に対する制度的支援の実践が当事者に対していかなる行為と自己アイデンティティの可能性を提供しているのかを明らかにする.制度的実践を介した医学的概念とその対象者の行為およびアイデンティティとの関係については, 医療化論の視点からすでに批判的検討がなされてきた. しかしこうした批判的視点にあらかじめ依拠してしまうことは, 発達障害者と呼ばれる人びとがこの概念に基づいて行いうる実践の多様なあり方を見失わせてしまう. したがって本稿はこの視点からひとまず距離をとりながら, この実践を構成している概念連関の記述を試みる.この作業を通して本稿が見出すのは, 医療化論の視点とは対立する次の事態である. すなわち, 発達障害者への制度的支援の実践は, その参加者が発達障害の概念を批判的に捉え返していくための可能性をも提供しており, したがってまたこの実践のあり方に抵抗し, さらにはそれをあらためていく可能性をも提供しているという事態である. これに基づき本稿は, 当事者のアイデンティティ形成とその書き換えの積極的な契機として制度的支援の実践を捉えていく必要のあることを示すことになる.
著者
鶴田 幸恵
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.133-150, 2008-06-30 (Released:2010-04-01)
参考文献数
19
被引用文献数
1 or 0

本稿の目的は,「性同一性障害の正当な当事者であること」をめぐる当事者の語りを検討し,そこでいかなる基準が用いられているかを示すことである.まずは,サックスによる成員カテゴリーの自己執行/他者執行の区別を参照しながら,性同一性障害カテゴリーがどのように用いられているのかを見ていく.次に,「正当な性同一性障害」について当事者が語っているインタビュー・データを分析し,そこで用いられている基準を析出する.その結果,「医療への依存度」「自己犠牲の程度」「女/男らしくあることへの努力」「社会性の有無」という複数の基準が用いられていることがわかった.これらの基準はもともと医学において用いられている基準を参照したものであったものだが,現在ではそれが独り歩きし,性同一性障害コミュニティ独自の基準となっている.以上の議論によって明らかになったのは,性同一性障害カテゴリーが,それを執行する権利が医学にのみあるのではないものとして,コミュニティのなかに存在しているということである.また,そのカテゴリーを適用されるための基準が,医学の求める基準をさらに厳格化し,社会にいかに適応的であるかによるものとなっている,ということである.性同一性障害カテゴリーは,医学から離れた当事者間の相互行為においても,当事者自身によって,非常に道徳的なものとして管理されているのである.
著者
朴 沙羅
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.275-293, 2013 (Released:2014-09-30)
参考文献数
34

近年, 敗戦直後の連合軍占領期 (1945年9月から52年4月) における人口移動が解明されるにつれて, 在日コリアンの一部が太平洋戦争後に日本へ移住してきたことも次第に明らかにされてきた. その移動は通常, 「密航」や「不法入国」と呼ばれ, 管理され阻止される対象となった. しかし, 「密航」という言葉のあからさまな「違法性」のためか, 「密航」を定義する法律がどのように執行されるようになったかは, 未だ問題にされていない.本稿が問題とするのはこの点である. 出入国管理法が存在せず, 朝鮮半島からの「密航者」や日本国内の「朝鮮人」の国籍が不透明だった時期に, なぜ彼らの日本入国を「不法」と呼び得たのか. 「密航」はどのように問題化され「密航者」がどのように発見されていったのか. これらを探究することは, 誰かが「違法」な「外国人」だとカテゴリー化される過程を明らかにし, 「密航」をめぐる政治・制度・相互行為のそれぞれにおいて, 「合法」と「違法」, 「日本人」と「外国人」の境界が引かれていく過程を明らかにすることでもある.したがって, 本稿は, 朝鮮人の「密航」を「不法入国」と定義した法律, その法律を必要とした政治的状況, その法律が運用された相互行為場面のそれぞれに分析の焦点を当て, それによって, 植民地放棄の過程において「日本人」と「外国人」の境界がどのように定義されたかを明らかにしようと試みる.
著者
古市 憲寿
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.376-390, 2012

本稿は, 1990年代後半以降に政府や経済界から提出された「起業」や「起業家」像の検討を通して, 日本の社会秩序が「起業」や「起業家」をどう規定し, 受け入れてきたのかを分析するものである.<br>バブル経済が崩壊し日本型経営が見直しを迫られる中で, 「起業家」は日本経済の救世主として政財界から希求されたものだった. しかし, 一連の起業を推奨する言説にはあるアイロニーがある. それは, 自由意志と自己責任を強調し, 一人ひとりが独立自尊の精神を持った起業家になれと勧めるにもかかわらず, それが語られるコンテクストは必ず「日本経済の再生」や「わが国の活性化」などという国家的なものであったという点である. 自分の利益を追求し, 自分で自分の成功を規定するような者は「起業家」と呼ばれず, 「起業家」とはあくまでも「日本経済に貢献」する「経済の起爆剤」でなければならないのである. さらに, 若年雇用問題が社会問題化すると, 起業には雇用創出の役割までが期待されるようになった.<br>1999年の中小企業基本法の改正まで, 日本の中小企業政策は「二重構造」論の強い影響下, 中小企業の「近代化」や大企業との「格差是正」を目指すという社会政策的側面が強かった. その意味で, 起業家に自己責任と日本経済への貢献を同時に要求する理念は, 1990年代後半以降の時代特殊的なものと言える.
著者
松田 茂樹
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.260-277, 2015 (Released:2016-09-30)
参考文献数
39

1990年代以降, わが国の少子化対策は行われてきた. その初期から家族社会学の各種研究は少子化の実態や背景要因を理解するためにさまざまな視点を提供し, 保育とワーク・ライフ・バランスを両輪とする少子化対策の政策形成に寄与してきた. その具体的内容を「少子化対策の方向性」「女性就労とワーク・ライフ・バランス」「育児期の孤立と育児不安」「未婚化の要因」の4点を取り上げて論じる. 対策が開始されて20年が経ったが, いまだ出生率は回復しない. この理由は, 従来の対策のメインターゲットと家族の実態の間にミスマッチがあったからである. これまで保育と両立支援により主に出産・育児期に継続就業する正規雇用者同士の共働き夫婦を支援してきたが, そうした層は全体の一部である. 少子化の主因は, 若年層の雇用の劣化により結婚できない者が増えたことおよびマスを占める典型的家族において出産・育児が難しくなっていることであった. 出生率を回復させるには, 政策ターゲットをこれらの層に広げる必要がある. 家族社会学および社会学が, 今後も少子化対策およびそれ以外も含めた政策形成に貢献するためには, (1)問題の実態把握から, 背景要因の解明, 具体的な政策提案までを一気通貫した研究, (2)具体的かつ量的な研究, (3)家族や若者の<全体像>を把握する研究, (4)政策の仮説の設定とそれを検証するフィードバックループを回すこと, が求められる.
著者
小形 道正
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.487-502, 2013-03-31 (Released:2014-03-31)
参考文献数
71

現在ファッションに関する研究は, 複雑かつ多岐にわたる一方で, それら諸研究を綜合的な視座から論じる視点は, ほとんど提示されてこなかった. そこで本稿は, まずこれまでのファッション研究の方法論的視線を明らかにしたうえで, 今後の社会学的課題について検討を行う.本稿では, これまでのファッション研究が, という形式において3つの方法論的視線より論じられてきたことを明らかにする. この3つの方法論的視線とは, , , という視点である.まずでは, 2つの側面からファッションにおける流行現象について論じられてきた. しかし, 結果としてこれらの研究は, ファッションの分類学的研究へと収斂する. 次にのファッション研究では, 根源的な身体を想定し, 衣服を対象化する現象学的研究が存在する一方で, 衣服の歴史性を論じながら, 形式化された身体を発見する研究が存在する. 最後にに準拠する視線では, ファッションにまつわる雑誌の役割と読者の様態が描写される.このように本稿では, まずファッション研究における3つの方法論的視線を明示する. そして, 今後のファッション研究における社会学的課題とは, 3つの方法論的視線を継承し, 綜合するだけではなく, という形式を越えて, 衣服それ自体の社会性とその変容を論じてゆくことであると提示する.
著者
坂 敏宏
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.270-286, 2014

Max Weberの価値自由 (Wertfreiheit) という概念はこれまでさまざまに解釈されてきた. 本稿はまず, Weberの著作からwertfreiまたはwertungsfreiを含む語 ('価値自由') の用例を調べ上げることで, Weber自身がこの言葉にどのような意味を与えていたのかを明らかにしようとする. 調査の結果, '価値自由'の語はテキスト中30カ所において得られた. これらの用例を分析したところ, これらはすべて社会科学的認識のための方法論の立場を示すものとして用いられており, 実践的な「価値への自由」を含意していなかった. つまり, '価値自由'が意味しているのは, 実践的内容を含意するものである価値は, 科学的認識の「過程」において認識の対象とすることができるが認識の基準にすることはできないということ, および認識の「言明」において価値評価は排除されるということである. 次にその意義を考察した. それによると, '価値自由'は自然と対置される価値の世界を自然科学と同じ確実性をもって認識するための原理であって, これによって価値の世界を自然の世界と同様の客体として科学的に「説明」することを可能にするものであり, さらには, 認識と実践の統一を主張するHegel的な汎論理主義的性格に抗して, あくまで認識と実践との区別というKant的な立場に踏みとどまろうとするWeberの「哲学」の基礎をなしている.
著者
落合 恵美子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.533-552, 2013 (Released:2015-03-31)
参考文献数
52

日本の近代家族研究の蓄積は世界の家族変動研究にどのような貢献ができるのか, アジアとヨーロッパを例に検討する. まず, 人口転換とジェンダーへの注目を理論的基礎として, 近代の家族変動と社会変動をとらえる枠組みを提出する. 第1次人口転換と主婦化が近代家族を単位とする「第1の近代」を作り, 第2次人口転換と脱主婦化が個人化と家族の多様化を特徴とする「第2の近代」を開始させたとする枠組みである. この枠組みをアジア社会に適用するため, 日本以外の東アジア諸国は圧縮近代, 日本は半圧縮近代ととらえることを提案する. 圧縮ないし半圧縮近代においては, 「個人主義なき個人化」すなわち, 家族が互いに支え合う社会において, 家族というリスクを回避するための「家族主義的個人化」が起こる. また, 人口学的条件等の違いの結果を文化的優劣と誤解して, 間違った政策判断をする危険がある. とりわけ自己オリエンタリズムによって「第1の近代」の近代家族や性別分業を自らの社会の伝統と思い込む「近代の伝統化」が起こりやすい. 日本よりも圧縮の強い他のアジア社会では, 伝統と近代とグローバル化が絡み合って家族のグローバル化が急速に進行する. 他方, ヨーロッパの「第2の近代」は, 世界的視野で見ると, 世界システムにおける地位の低下に対応する現象と考えられる. 多くの社会が行き着く経済成長の鈍化した高齢社会に対応した社会システムを構築する試みが「第2の近代」なのである.
著者
森山 至貴
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.103-122, 2011-06-30 (Released:2013-03-01)
参考文献数
15

社会的マイノリティをめぐる議論は,差別の考察と結びつくかたちで常にカテゴリー語を1つの重要な論点としてきた.しかし,当該カテゴリー成員にとっての呼称が果たす意味や意義については,考察されていない.そこで本稿では,ゲイ男性およびバイセクシュアル男性の自称としての「こっち」という表現を取り上げ,この論点について考察する.具体的にはゲイ男性またはバイセクシュアル男性13人に行ったインタビューの結果を分析する.ゲイ男性とバイセクシュアル男性の集団を指す「こっち」という「婉曲的」な呼び名が〈わたしたち〉を指すために用いられる理由はいくつかあるが,そこに「仲間意識」のニュアンスが込められている点が重要である.この点には「こっち」という言葉のもつトートロジカルな性質が関連しており,「仲間」であることは性的指向の共通性には回収されない.また,「仲間意識」を強く志向するこの語彙を用いることによって「仲間意識」を発生させることも可能である.ただし,それが投企の実践である以上,他の言葉よりは見込みがあるにせよ,「仲間」としての〈わたしたち〉が必ず立ち上がるとは限らない.反例もあるにせよ,曖昧さをもったトートロジカルな「こっち」という言葉は柔軟で繊細なかたちで〈わたしたち〉を立ち上げるための言葉として存在しており,このことは意味的な負荷の軽減がマイノリティ集団の言語実践にとって重要ではないか,との洞察を導く.
著者
片瀬 一男
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.4, pp.476-491, 2008-03-31 (Released:2010-04-01)
参考文献数
60

戦後,日本社会の民主化をめざして導入された統計教育が,昨今の「ゆとり教育」のもとでのカリキュラム削減によって危機に瀕している.統計的リテラシーは,世論調査をはじめとする調査データを的確に読みとることによって適切な政治参加を促進するという点で,情報化社会における市民的教養教育にとって不可欠のものである.また,社会学教育においても,社会調査教育は,質的調査・量的調査を問わず,因果図式や仮説の構成を通じて,社会理論と社会的現実を架橋する社会学的想像力を涵養するという意味で枢要な位置を占める.ところが,実際の社会調査教育の現場では,たとえば社会調査士育成をめぐっても,大学間の格差が存在するだけでなく,量的調査では検定や多変量解析,質的調査ではフィールドノーツやドキュメントの分析技法の教授までは十分になされていないという問題点がある.今後はデータ収集の方法だけでなく,こうした分析技法の教育にさらに力をそそぐことが,社会調査教育の課題となる.これによって,メディアの流す多様な情報から,適切なものを読みとるリサーチ・リテラシーを育成することで,情報化社会における民主的な市民参加を促進することこそ,市民的教養教育としての社会調査教育に求められる使命である.
著者
小山 裕
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.37-51, 2010-06-30 (Released:2012-03-01)
参考文献数
46
被引用文献数
1 or 0

本稿の目的は,ニクラス・ルーマンが『制度としての基本権』(1965年)において最初に提示した機能分化社会という秩序表象が立つ共時的・通時的連関の解明にある.共時的な観点からは,ルーマンの機能分化社会理論が,公共性や公的秩序といった概念を手がかりとした,ドイツ的国家概念の批判という,同時代のドイツ連邦共和国の理論家の幾人かに共通して見られる試みの一ヴァージョンであったことが示される.ルーマンの機能分化概念は,かかる国家概念を支える19世紀ドイツの社会構造と見なされていた国家と社会の二元主義へのオルタナティヴであった.通時的な観点からは,機能分化社会という秩序表象がカール・シュミットの全面国家との比較から分析される.ルーマンは,シュミットのいう社会の自己組織化を,社会全体の政治化による自由なき全面国家の成立と見なし,それを批判するために機能分化を維持するためのメカニズムを探求した.政治システムの限界づけを志向するという点で,初期ルーマンの機能分化社会理論は,19世紀の市民的自由主義の自由主義的な再解釈であったと特徴づけることができる.
著者
北田 暁大
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.78-93, 2007-06-30 (Released:2010-03-25)
参考文献数
78
著者
古市 憲寿
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.376-390, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
46

本稿は, 1990年代後半以降に政府や経済界から提出された「起業」や「起業家」像の検討を通して, 日本の社会秩序が「起業」や「起業家」をどう規定し, 受け入れてきたのかを分析するものである.バブル経済が崩壊し日本型経営が見直しを迫られる中で, 「起業家」は日本経済の救世主として政財界から希求されたものだった. しかし, 一連の起業を推奨する言説にはあるアイロニーがある. それは, 自由意志と自己責任を強調し, 一人ひとりが独立自尊の精神を持った起業家になれと勧めるにもかかわらず, それが語られるコンテクストは必ず「日本経済の再生」や「わが国の活性化」などという国家的なものであったという点である. 自分の利益を追求し, 自分で自分の成功を規定するような者は「起業家」と呼ばれず, 「起業家」とはあくまでも「日本経済に貢献」する「経済の起爆剤」でなければならないのである. さらに, 若年雇用問題が社会問題化すると, 起業には雇用創出の役割までが期待されるようになった.1999年の中小企業基本法の改正まで, 日本の中小企業政策は「二重構造」論の強い影響下, 中小企業の「近代化」や大企業との「格差是正」を目指すという社会政策的側面が強かった. その意味で, 起業家に自己責任と日本経済への貢献を同時に要求する理念は, 1990年代後半以降の時代特殊的なものと言える.
著者
奥村 隆
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.77-93, 1994-06-30 (Released:2010-05-07)
参考文献数
44

「思いやり」と「かげぐち」どちらも, ありふれた現象である。 しかし, どちらも, 私たちが他者とともにあって「社会」を形づくる形式・技法として考察されるべきものではないだろうか。私たちがある技法を採用するのはどうしてか, それを「社会」形成の形式とするときその社会はどのような性格をもつのか。こうした問いの焦点のひとつに, この現象は位置づけられるのだ。このような「社会」形成の形式・技法は, 日常の自明性のなかにいるかぎり対象化できない。本稿では, 次のような方法をとる。まず, ある視点から, 論理的に一貫した理念型 (「原形」と呼ぶ) をつくる。その理念型を基準とすることで, 日常は基準からズレたものとして見えるようになる。そこで, そのズレ・距離 (「転形」と呼ぶ) を測定することで, それを生みだしている力=私たちが日常採用している技法が記述可能なものとなる。本稿は, 「存在証明」という視点を採用する。ここから組み立てられる「原形」は, 他者とともにあって「社会」を形成する困難さを内包したものになるだろう。この「原形」からみるとき, 「思いやり」と「かげぐち」が, その困難さに折り合いをつけながら「社会」を形づくる技法であり, それゆえにふたつが結びつかざるをえないものであること, そして, この技法をもつ「転形」 (すなわち私たちの社会) に「原形」とは別の困難さが存在していること, が浮かび上がってくるのである。