- 著者
-
立川 真樹
小田島 仁司
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.70, no.4, pp.269-274, 2015-04-05 (Released:2019-08-21)
1900年にPlanckが導出した放射法則は,19世紀末から続いた熱放射の論議に決着をつけるとともに,量子物理学への道を切り開いた.今日,一般的な熱計測法がPlanckの放射法則を礎に成立しており,基礎科学から熱工学にわたる広範囲で応用されている.白熱球などマクロな物体からの熱放射のスペクトルは,厳密には物質の化学組成や放射面の粗さに依存するものの,多くの場合,黒体もしくは灰色体のそれで近似できる.しかし,放射体が次第に小さくなり放射波長と同程度かそれ以下になっても,Planckの放射式は成立するであろうか?ミクロの極限である原子の発光スペクトルは,原子固有の線スペクトルである.放射体を小さくした場合,熱放射はどのように放射体自身の個性を獲得していくのだろうか?意外なことに,Planckの発見から100年を経た現在に至るまで,熱放射のサイズ効果を明確にした実験は行われていない.微粒子を対象とした実験の本質的な難しさによるのかもしれない.微粒子からの熱放射スペクトルを観測するためには,高温の微粒子を熱的に孤立した状態で空間に保持しなければならない.何らかの支持を用いれば熱的接触が不可避で,支持体自身からの熱放射が微粒子の微弱な信号を覆い隠してしまう.また,粒径が不均一な集団からの信号を観測したのでは,個々のスペクトル構造は平均化されて特徴を失ってしまう.そこで我々は,光トラップにより高温の微粒子を空中に浮遊させ,単一の微粒子からの熱放射スペクトルを計測する新たな実験法を開発した.我々の光トラップは,波長10μmの炭酸ガスレーザー光の定在波を利用したもので,トラップ領域に生じる上昇気流により重力の一部を相殺してトラップの安定度を向上させている.そこにアルミナ,酸化チタンなどの誘電体微粒子を捕捉すると,トラップ光を吸収して高温になり白熱する.このとき微粒子は融点を超えて液滴となっており,表面張力で球形をなしている.蒸発によって縮小していく高温微粒子からの熱放射の可視・近赤外スペクトルを観測すると,単調な黒体様のものから徐々に規則的な鋭いピークを持つ形に変化する.この周期的なスペクトルは,Whispering Gallery Mode(WGM)と呼ばれる誘電体微粒子の光共振器モードに共鳴した構造であることが明らかになった.物質が自然放出を起こす確率は,その空間の電磁場のモード密度に比例する.モード密度が離散的になる有限の空間では,特定の周波数で自然放出の増強・抑制が起こる.誘電体球のWGMは境界で全反射を繰り返しながら周回する電磁波によるモードで,非常に高いQ値を持つ.今回観測されたピーク構造は,WGMに同調した周波数で熱放射が増強されたもので,共振器量子電磁気学的効果を通して,誘電体微粒子の熱放射に放射体の形状や大きさの個性が現れることを示している.微小な熱放射体は火炎や星間ダストなど自然界にも豊富に存在しており,熱放射のサイズ効果の解明は自然現象の正しい理解に欠かせない.さらに,サイズ効果を積極的に利用すると,波長選択性や指向性など,熱放射の特性を制御することも可能になる.