著者
小田嶋 恭二
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.211-230, 2003-03-31

藤根村という東北の貧しい農村に生まれた高橋峯次郎という一教師をとおして、彼が生きた明治・大正・昭和の三時代とはどういう時代であったのか、また村の指導者として日露戦争、満州事変そして太平洋戦争に、どのように関与し行動したかを考察する。峯次郎という人間を考える上でのキーワードは、「貧しい農村」、「青少年教育」、「兵隊バカ」の三つである。これは、彼が生前六六年間書き続けた日記、三七年間発行し続けた『真友』、教え子から受け取った七千通を超える軍事郵便、生涯にわたって手がけた二冊の郷土史から拾い上げることができる。彼は、藩政時代から繰り返し起こる飢饉や百姓一揆の恐ろしさ、戊辰戦争の敗北により明治政府から疎外されてきた東北農村の歴史を聞いて育つ。苦学して師範学校を卒業し、教員となり村の青少年教育に情熱を注ぐが、戦争という暗い陰がいつも隣り合わせであった。日露戦争にも従軍し、戦争の悲惨さや家族に及ぼす影響を痛いほど知っていた。そのため、教え子が戦地に行って苦労しないよう軍事訓練をしたり、出征兵士に村の様子、家族の様子を知らせる『真友』や激励の手紙を送付した。時には異常なまで軍に協力する姿が、誤解され「兵隊バカ」と呼ばれることもあった。昭和二〇年八月一五日敗戦という結末で太平洋戦争は終わる。これまで政治を信じ軍部を信じ「兵隊バカ」とまで呼ばれ、国策遂行に協力したことに対し、敗戦を境にその指導責任を問われることになる。戦争で教え子を失い、これまで村の指導者としてとった行動が否定され、心に深い傷を負う。戦後、彼は戦死した教え子の霊を供養し、遺族たちの世話や恵まれない人々や子どもの世話をし、社会福祉に奉仕する。これは彼自身の戦争責任の取り方であり、また一つの人生のけじめのつけ方でもあったのではないか。