- 著者
-
小石川 聖
- 出版者
- 日本スポーツ社会学会
- 雑誌
- スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
- 巻号頁・発行日
- vol.31, no.2, pp.107-121, 2023 (Released:2023-10-26)
- 参考文献数
- 54
2018年のサッカーワールドカップで、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)が導入され話題となった。一方で、日本ではインスタント・リプレイを見ること自体はスポーツ中継には当たり前の光景になっているばかりか、1969年の大相撲では既にビデオ判定が導入された。本稿では、ビデオ判定導入に至る過程がメディア経験の変化でもあったことに着目し、メディア論を用いて「リプレイ」にアプローチする。
スポーツ中継の歴史の中で1964年の東京オリンピックは、「テレビ・オリンピック」と称され、放送技術の革新が喧伝された大会であり、スローモーションVTRもそのひとつであったことがこれまで明らかにされている。しかし、VTR導入以前には、リプレイは写真や映画フィルムによって可能になっていた。本研究の目的は、そうしたリプレイ技術の開発・導入の過程を具体的に明らかにすることである。
理論的には、メディア論における技術の社会的構成という立場から分析を行う。この理論は、技術の開発・導入に直接携わる科学者や技術者だけでなく、一見すると無関係に見える人びとに注目する。放送技術の社会的構成を問う本研究の場合は、テレビの演出に関わる制作陣やアナウンサー、解説者といった人びとを対象とする。技術の開発・導入状況と、そうした人びとのリプレイへの解釈を明らかにするために、当時の放送技術や放送文化の専門誌を資料として分析を行う。
結論として、VTRの導入はそれ以前の技術の混在した状況をまとめあげる転機となったが、リプレイへの期待はVTR導入以前から存在していた。リプレイは、スポーツ中継の新しい演出として模索され、スポーツの専門性への視聴者の要求に応えることができる技術として期待されたのである。一方で、VTRは「機械の眼」の威力を人びとに実感させた技術でもあり、東京オリンピック後には大相撲のビデオ判定につながっていったのである。