著者
尾形 恵
出版者
文化学園大学
雑誌
文化学園大学紀要. 服装学・造形学研究 (ISSN:21873372)
巻号頁・発行日
no.44, pp.125-130, 2013-01

本論文は、日本人の洋装化がどのような経緯で普及したか、また日本人女性が着用した洋装に和服地が使われていたのかについて調査することを目的とする。日本の洋装化は江戸時代に始まっていたが市民に普及することはなく、明治時代に外交問題解決や社交場などとして造られた鹿鳴館で、上層階級の人々が欧米のバスルスタイルを取り入れた洋装化をきっかけとして、一部の市民への洋装化の浸透を促したといえる。このバスルスタイルのドレスは海外からの輸入に頼るだけではなく、洋裁技術を日本人が習得、着用する姿が浮世絵に残されていた。浮世絵に描かれる日本女性の着装しているドレスの柄と、きものの文様について関係性を調べた結果、鹿鳴館スタイルのドレスの柄には植物の柄が多く、梅や牡丹といった日本人に親しみ深い花や、蔦を図案化した唐草文様が描かれていた。唐草文様は中国より伝来し日本独自に発展した文様である。また、幾何学文様では菱文が多く見られ、発生は縄文時代と古いものである。いずれも日本のきものの柄の中にも取り入れられてきた文様である。このことからもバスルドレスを日本人が作るにあたり、和服地を利用してきたことが分かった。