著者
山名 章二
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2019, no.29, pp.119-128, 2019-01-01 (Released:2020-01-24)

これは草稿転写の報告だが, 解読に詰めも残しており, 資料の紹介ノートと呼ぶのがふさわしい. 原本は日本放送協会のラジオ放送劇の脚本で, 金沢市在石川近代文学館に北村喜八関連資料の一として所蔵されている. 放送は日本の連合国軍への降伏からほぼ三年後, 1948年8月であった. 築地小劇場に始まり演劇界で広範に活躍し, 英米さらにドイツの文学作品を幅広く翻訳出版, 数多の著書を公刊, 晩年には日本の劇界を代表して国際的に活動し, その中でオニールにも上演に翻訳に深く取り組み続け,文通もあった北村喜八の執筆による. その内容はオニールが波乱の青年期を終え演劇に確固たる基盤を築く頃をセリフ劇形式で跡付け, その後の主要戯曲および近作情報を紹介し, オニールの一層の活躍への期待も込められている. 1946年初演の The Iceman Cometh はいち早く触れられているが, 没後25年を経て公開するよう遺言されることになる Long Day’s Journey into Night への言及はない.当然ながら. アメリカ文化に大いに関心を寄せその影響も色濃い1920年代, 30年代の日本がアメリカ演劇を受容した熱気を戦後に復興しようとする意欲をも窺わせる資料である.
著者
山名 章二
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2016, no.26, pp.551-571, 2016 (Released:2016-11-30)
参考文献数
18

Eugene O’Neillが異例の長時間をかけ苦吟の末に完成した戯曲Days Without End (1934)は説得力を持つものにはならなかった. 本論は草稿類の検討により創作の推移を跡づけ, 戯曲の趣意を探る. その結果, 特に手子摺った結末が明らかにするのは, 中心人物の戯曲の虚構空間での課題が執筆した自伝的小説のモデルとした自らの不倫に行き着いた人生と, その小説に書き込んだ当の不倫の被害者である妻の死を望む底意との都合の良い妥協, もとどおり赦されかつ愛されて生き続ける日々の構築であることがわかる. そして, 伝記的には, それはそのままO’Neillの劇作家としての創作と実人生の妥協の模索, あるいはそのための迷走の実態でもある. 劇中で中心人物が書く小説の結末は, O’Neillが二人目の妻のAgnes Boultonを裏切り実現させた三人目の妻Carlotta Montereyとの日々を蝕む罪悪感の底にうごめくもの, すなわちAgnesの存在を抹消する願望が結晶したものである. さらに, 込み入ったことに, O’Neillの最深奥の真実でもあるこの罪悪感は, この戯曲の執筆中も赤裸な弾劾をやめない. その葛藤に取り組み書き換えるよう執拗に迫る創作衝動は, O’Neill好みの表現ならば“Something behind life”すなわち生の衝動そのものだ. この込み入った難題の打開策, 一個人としての究極の目的は, 弾劾を突きつける自らの内実を塗りつぶし, 創作による自己正当化の偽装以外になかったことが浮かび上がる. 同じくO’Neillの言葉ならば, 自らを“a whited sepulcher”「白く塗りたる墓」とすることである. かくて, もとより自伝色の濃い戯曲Days Without Endは, O’Neill深奥のカトリックの教えへの傾斜を踏まえた宗教色が強いものの, 回心, 自我からの解放あるいは人間理解の新しい段階を表現するなどとする従来の見方とは異なり,「書く人物」が書くことにより自らに関わる現実を操作しようとする企ての形象であり, The Iceman Comethで改めて取り組み, さらに自ら自伝と呼ぶLong Day’s Journey into Nightで続ける探求の先駆けとして捉えることができる.