著者
山本 禮子
出版者
和洋女子大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

近代公教育の体制下にあって、日本の女子教育の中心的役割を担った戦前の女子中等教育機関としての高等女学校の教育実態を明らかにするため、高齢化する高等女学校卒業生対象のアンケ-ト調査・面接調査の緊急性を痛感している。ここ数年来、公立・私立の高女卒業生対象の調査を実施してきたが、本年度は、外地の高等女学校卒業生に焦点をあてて行った。まず、朝鮮・台湾・関東州・樺太・満洲・中国に設立された高女の同窓会に名簿提供を依頼し、承諾を得た34校に対し、1915年から5年おきに最高20名を限度に無作為抽出し、1917名にアンケ-トを発送(7月下旬〜8月上旬)した。返送されたものを減ずると実質発送数1730、回答数659で回収率は38.09%である(回収10月末日)。この回収率は内地のそれより高く(公立高女アンケ-ト回収率33.59%、私立高女30.71%)意識の高さを証左している。未だに詳細な調査結果の分析・考察には至っていないが、現地人を入学させた学校、現地語を教科の学習として位置づけた学校、課外学習として取扱った学校等様々であるが、それは全体の1割弱の学校にしかみられない。当時、日本語使用を義務づけたため(朝鮮など特に)現地語導入は考えられないことである。現地語学習が顕著なのは満洲の撫順高女やハルピン高女である。日本の国がそれぞれの地域とどのような関係をむすんだかが教育に鮮明に反映している。その他、1930年前後の修学旅行は船中泊を含めると2週間にもわたる旅で、京都・奈良・東京はもとより、学校によっては日光・九州、時代によっては橿原神宮もコ-スに入り、大々的なものになっている。しかし、戦局切迫する中で中止となる。異句同音に外地に育った者の大らかさを自負し、引き揚げ後の困窮生活をも前向きにとらえる姿が窺われる。