著者
山本 芳明
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
no.29, pp.p1-16, 1982-10
著者
山本 芳明
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.7, pp.276-257, 2008

嘉村礒多は、昭和三年から八年にかけての短期間に、自らの身辺を題材とした、三十ほどの短編小説を書いただけのマイナー作家であるにも拘らず、彼の文学史的な地位は大変高い。嘉村が正典に登録されているといっても誤りではない。こうした事態をもたらしたものは、発表された作品に対する、同時代の評者の熱烈な支持と考えられる。それは同時代評を検討することによって確認することができる。デビュー以来、モダニズム文学・プロレタリア文学の両陣営から一定の肯定的評価を得ていた嘉村であったが、転換点となったのは、昭和五年一月号の「新潮」に発表された「曇り日」であった。この作品によって、嘉村は私小説という限定を突破して、時代を超えた人間性を描いた作家として認知されるに至った。作品は主人公の「私」の卑小さを徹底して描いており、その一貫した筆致が同時代の評者に強烈な印象を与えていた。ただし、「曇り日」は嘉村の文壇的地位を決定的に高めたわけではなく、昭和七年が嘉村を文壇の頂点に押し上げた年となる。
著者
山本 芳明
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.276-257, 2009-03-28

嘉村礒多は、昭和三年から八年にかけての短期間に、自らの身辺を題材とした、三十ほどの短編小説を書いただけのマイナー作家であるにも拘らず、彼の文学史的な地位は大変高い。嘉村が正典に登録されているといっても誤りではない。こうした事態をもたらしたものは、発表された作品に対する、同時代の評者の熱烈な支持と考えられる。それは同時代評を検討することによって確認することができる。デビュー以来、モダニズム文学・プロレタリア文学の両陣営から一定の肯定的評価を得ていた嘉村であったが、転換点となったのは、昭和五年一月号の「新潮」に発表された「曇り日」であった。この作品によって、嘉村は私小説という限定を突破して、時代を超えた人間性を描いた作家として認知されるに至った。作品は主人公の「私」の卑小さを徹底して描いており、その一貫した筆致が同時代の評者に強烈な印象を与えていた。ただし、「曇り日」は嘉村の文壇的地位を決定的に高めたわけではなく、昭和七年が嘉村を文壇の頂点に押し上げた年となる。
著者
山本 芳明
出版者
学習院大学
雑誌
人文 (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.358-336, 2007

葛西善蔵は、平野謙以来、破滅型の私小説作家の代表的存在として位置づけられてきた。しかし、これは晩年の作品を中心に考察されてきた研究の偏向によるものである。「子をつれて」で文壇的地位を確立して以降の葛西の作品世界を詳細に検討していけば、自らの破滅的な人生を忠実に描くタイプの私小説に分類できない多様な世界が浮かびあがってくる。葛西を連想させる人物の登場しない作品あり、代作あり、社会主義への関心を示すものあり、女性嫌悪が描かれたものや心境小説風のものもある。何より注目されるのは、自虐的に自己を語るように見せて他者をデフォルメして描くことによって、自己を正当化し卓越化しようとする作品だろう。また、葛西は不能や肺結核などの決定的ともいえる自己表象をその場しのぎで運用する傾向もあった。こうした一貫性のない混乱した作品世界を同時代の評者は厳しく批判していた。つまり、平野らが作り出した〈私小説作家〉としての葛西善蔵は、一貫性の欠如した作品世界と同時代の厳しい評価を不可視の領域に封じ込めることによって成立したのである。そのことは〈私小説〉言説の虚構性とその基盤の不安定さを物語っている。