著者
山根 実紀
出版者
京都大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2011

おもに公立夜間中学をとりまく教育政策の具体的状況をみることによって、不就学・非識字者の社会的位置を外側から理論化する作業を行った。近畿圏および東京の夜間中学で、とくに「全国夜間中学校研究大会」(1954年から毎年度開催)の記録誌とその付随資料、一部の学校の沿革史を中心に資料調査をし、夜間中学の不安定な制度的な状況を各学校で把握するとともに、夜間中学がフォーカスしてきた問題の変遷から、1970年代半ばから在日朝鮮人教育に焦点を当てることになる資料的裏付けの第一歩となった。さらに、日本教職員組合の機関紙等を創刊から1980年前後まで約30年分にわたって網羅的に調査し、日教組の夜間中学および在日朝鮮人教育についての認識を確認したところ、ちょうど1971年に日教組が「教育新聞」の中で、「夜間中学を無視しつづけてきた」と自己反省している重要な事実を確認した。戦後、夜間中学は「日本人」の学齢期の年少労働者の未就学「救済」という目的、教師側の権利闘争の背景、さらには朝鮮半島の政情不安なども相まって不可視にされてきた在日朝鮮人女性非識字者が、1970年代前後の夜間中学生の教師や教育行政への「告発」を契機に、1970年代の在目朝鮮人女性生徒の増加の思いがけない可視化を促したことの制度的・社会的条件の重層的構造の存在を明確化した。以上のように夜間中学に関して基礎的な事実を解明するとともに、在日朝鮮人集住地域の京都市南区東九条の教会で行われていた自主的な識字教室「東九条オモニ学校」(1978年開設)の設立と運営にかかわってきた日本人および在日朝鮮人2世の教師側のインタビューと関連史料の整理をすることで、地域的特有性、生徒である「オモニ」と日本人教師の関係性、日本人教師と在日朝鮮人教師との葛藤などは、夜間中学ともまた違う学習空間を持ち合わせていた可能性がわかった。さらに、韓国調査では、70年代の「成人学校」事情をソウル大学図書館、延世大学図書館で史料調査し、また済州島の道庁と済州大学図書館および「在日済州人センターの史料調査では在日ネットワークを確認し、釜山では社会教育学術交流会に参加した。