著者
山路 勝彦
出版者
関西学院大学
雑誌
関西学院大学社会学部紀要 (ISSN:04529456)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.25-40, 192, 2004-10-28

This paper is concerned with the Colonial Exposition in the early 20^<th> century in Tokyo and Osaka. The content is as follows: 1. The Colonial Exposition in 1912/13 The Takusyoku Hakurankai, held in Tokyo in 1912, was the first Colonial Exposition in Japan, the purpose of which was to display special products from colonies such as Hokkaido, Sakhalin, Taiwan, Korea and Manchuria. This exposition was aimed to provide an opportunity to demonstrate that the Japanese government had succeeded in ruling these colonies. 2. Anthropologists and the Display of Aborigines It is quite interesting that many physical anthropologists at Tokyo University, like Tsuboi Shogoro, worked together with the government staff, displaying aborigines from the colonies as if they were just exhibits. These anthropologists were delighted that they had an opportunity to measure the parts of the bodies of aborigines. The Tokyo Anthropological Association issued commemorative postcards entitled "Aborigines in Japanese colonies". 3. Aborigines in Expositions in the Syowa era Aborigines of the Colonial Exposition were just like a display in a museum, showing their costumes or their features for the Japanese people. However, the situation changed slightly in the Syowa era. In those days, aborigines joined in events of various expositions, performing their traditional music and dances on the stage planned by entertainers in a funny style. Aboriginal dancers were no longer silent objects of exhibition.
著者
山路 勝彦
出版者
関西学院大学
雑誌
関西学院大学社会学部紀要 (ISSN:04529456)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.43-67, 2006-10

In its efforts to appeal the success of Japanese colonial policies, the Empire of Manchuria joined in various kinds of expositions held in Japan since the Taisho period. The main purpose of joining in these expositions was to display the rich mining and agricultural resources of Manchuria. Under colonial rule by the Japanese militarists, Manchuria was a country situated as a provider of natural resources for Japan. Manchuria had another opportunity to represent itself by showing a different culture from that of the Japanese. When the Chicago world exposition titled "a century of progress" was held in 1933, Manchuria joined in this fair to declare itself as an independent country, displaying its historical and cultural heritage as different from the Chinese and Japanese. In 1934, a unique exposition was held in Dalian (Dairen in Japanese) of Manchuria. In this exposition, not only mining resources but also native folk customs, such as shamanism of the Mongols, Orochen, or Koreans, were displayed as a part of Manchurian culture. Thus, Manchuria showed complicated features in each exposition.
著者
山路 勝彦 棚橋 訓 柄木田 康之 成田 弘成 伊藤 真
出版者
関西学院大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

本研究は、平成7年度に引き続き、野外調査の方法によって、オーストロネシア諸族の産育慣行と生命観、そし性差の比較を目的とした研究である。人が産まれ・育つ過程を研究するにあたっては、それぞれの社会が認知する社会的・文化的意味を理解しなければならない。そして、その過程に男女がともに深く関わる以上、性差の文化的意味付けを考える必要がある。平成7、8年度と、二回にわたる野外調査は、ポリネシア(タヒチ、トンガ、ラロトンガ、西サモア)、メラネシア(パプアニューギニアのナカナイ族、およびマヌス島民)、ミクロネシア(ヤップ島民、パラオ島民)、インドネシア(スラベシのブギス族)で実施された。このような広域にわたるオセアニア地域での比較研究は、広い知見を与えてくれた。例えば、インドネシアおよびポリネシアの双方にわたって類似した性差慣行、つまり「第三の性」、もしくは「トランス・ジェンダー」の存在が指摘される。身体的には男でありながら、家事仕事など女の役割を受け持ち、女としての自認を持つ、この「第三の性」の比較研究は、性差の多様な現象形態を浮き彫りにするのに、よく貢献する。男・女という分類は身体的形質だけに基づいているのではなく、社会的・文化的に規定された分類でもある。とすれば、性差の現れ方は多様である。社会構造、文化的背景を考慮しながらの、両地域での比較研究は有益である。他方、この「第三の性」は男らしさ、女らしさのイメージについて、ポリネシア的な特徴を教えてくれる。この「らしさ」は、幼少年期の育児方法と深く関係していて、子ども達のしつけ、遊びなどの参与観察を通してその調査は実施された。例えばトンガでは、男は農耕、女は家事というように、はっきりとした性差の役割分担が見られる一方で、この二極分化に反するように、異性の役割を受け持つ存在があり、これが「第三の性」を生み出していると結論できる。そして、その異性の仕事を受け持つ男の子は、幼少年期から母親との愛着関係が濃密であった。ミクロネシアでも、性と生殖、産育慣行の調査は続行されるとともに、これらの慣行を支える社会・文化的環境を視野にいれ、その変化を探求できた。例えば、結婚儀礼についての詳述な資料を得たほかに、第一子出産に伴う儀礼的交換の実態を把握でき、そして日本時代から現代に至る変化の様相も浮き彫りにされた。パラオ島では、大首長の即位式で、首長は男と女の双方の装束を身にまとい、両性具有の姿態で登場する場面がある。この儀礼的文脈での性差の研究も、大きな収穫であった。この両性具有の研究もまた、今後の性差研究に新しい展望を切り開くであろう。メラネシアでは、昨年度に引き続きマヌス島民の調査を行い、出産をめぐる諸儀礼、禁忌などの宗教的観念を広い観点から調査した。とりわけ神話・歌謡・詩の資料収集に努め、性と生殖に関する豊富な資料(イディオム)を採集したことは大きな収穫であった。本研究の意義は、オセアニア地域での性差観念の比較研究と並んで、出産をめぐる諸儀礼、禁忌などの宗教的観念を広い観点から調査したことにある。その一例として、月経や出産時の血の穢れなどの禁忌の事例を探求した。とりわけメラネシアで得られたこの種の知見は、今後の日本の事例をも含めて、比較研究の題材となりうる。オセアニア地域ではまた、植物の成長過程が様々な社会関係と比喩的に語られる場合が多い。例えば、人間の成長過程や親族(親子)関係などは、播種(挿し木)から成長し、やがて実を結ぶまでの植物の成長過程と対比して語られる場合が多い。本研究は、こうした象徴的分析法を通して本題に取り組んだことでも独創的であった。