著者
岡本 憲幸
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.11, 2006

地域文化は社会的・政治的文脈によって構築され,「伝統」や「真正性」といった概念が付随する。このような地域文化をとらえる視点として,「フォークロリズム」や「文化の消費」などが挙げられる。このように,地域文化は様々な要因によって流用され,再文脈化されるが,研究対象とされる地域文化は成功している事例が多く,維持困難な事例を採り上げる必要がある。本発表では,維持困難な地域文化として「郷土玩具」を採り上げる。郷土玩具概念は,明治期に失われていく江戸文化への再評価の過程で登場したもので,愛好家のまなざしによって構築されたものである。郷土玩具の研究は,主に愛好家を中心に行われており,概念形成を論じた民俗学の研究も見られるが,地理学においてはこけしの地場産業研究が行われるぐらいであり,本発表は郷土玩具を文化的側面から捉えたい。対象とする郷土玩具は,岡山県美作地方に伝わる泥天神を事例とする。この地方には,津山,久米,勝央の各泥天神が集積しており,地域全体の郷土玩具が捉えられる。また,この地方の泥天神は,天神である菅原道真とゆかりがある点,戦前までは雛節供の際に男児に泥天神を贈る風習が存在していた点が特徴として挙げられる。戦後,製作中断から再興し,自治体などの指定や表彰を受けた泥天神もあるが,風習の衰退などにより,維持が困難な状態にある。泥天神の文脈に欠くことのできない風習に対して,製作者たちは泥天神と風習とのつながりが希薄なことを認識し,風習の文脈に「伝統」を感じていない。そして,風習が衰退した美作地方から,製作者は泥天神の販路を地域外へと拡大させている。また,泥天神の大きさを小型化したり素材を変えたりもしている。製作者たちはかつての泥天神を維持することに「伝統」を感じておらず,様々な変化は容認しつつも現在に泥天神を継承していることに「伝統」を感じている。こうした製作者の意識は,かつての泥天神の文脈から分離し,新に創出された「伝統」へと再文脈化したものといえる。製作者たちは,自治体による泥天神への指定の影響から,泥天神を「郷土」に遺す努力をしている。一方,自治体のほうは,泥天神の保存を製作者と地域住民に託しており,また地域住民のほうは,風習が衰退して泥天神に関わる機会が少ないことから,泥天神の保存に対して積極的ではない。このような状況で,製作者が「郷土」に感じている点は,1つ目に泥天神が同じ「郷土」で製作される必要性,2つ目に同じ「郷土」で製作されているから,継承の断絶があっても「真正性」が失われないという2点である。このことから,「郷土」は泥天神の「伝統」の再文脈化を保証する役割を担っている。