著者
岡本 裕一朗
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.1996, no.47, pp.237-246, 1996-05-01 (Released:2010-01-20)

「理性は、すべての実在 (Realität) である、という意識の確信である。」ヘーゲルは『精神の現象学』において、「理性」をこう定義する。この定義はきわめて有名であり、一般によく知られている。しかし、「よく知られていることは、だからといってよく認識されているわけではない。」一体ヘーゲルはこの命題によって、何を表現しようとしたのだろうか。この場合、「理性」とは何を意味しているのか。どうして、「理性」は、「すべての実在である」と言われるのだろうか。「理性」のこの奇妙な定義は、明らかにアリストテレスの所謂「受動理性」の定義、つまり「魂はある仕方ではすべての存在するものである」に由来する。言い換えると、「あらゆる実在である」という「理性」の定義は、『デ・アニマ』の「受動理性」から捉え直されたものなのである。しかし、アリストテレスの「受動理性」がどうしてここで言及されるのだろうか。そもそも、『現象学』と『デ・アニマ』とはいかなる関係にあるのだろうか。ヘーゲルがアリストテレスをきわめて高く評価し、その哲学から強い影響を受けていることは疑えない。このことは、『エンチクロペディー』の最後がアリストテレスの『形而上学』の引用 (ギリシア語原文) で終わっていることだけでも分かる。ヘーゲルはアリストテレスのうちに、自分の哲学の原理を重ね合わせているのである。この点については、従来からたびたび指摘されているが、しかし一歩踏み込んで、その影響関係の内実を具体的に理解することはほとんどなされていない。とりわけ、『精神の現象学』に関しては皆無と言ってよいだろう。しかし、「理性」という『現象学』の決定的に重要な箇所で、『デ・アニマ』の「受動理性」が想定されているとすれば、アリストテレスとの影響関係を無視することは不可能だろう。もっと刺激的な言い方をすれば、ヘーゲルの『現象学』の体系構想は、アリストテレスの理性論 (「受動理性-能動理性」の二重性) から根本的に規定されているのではないか。本稿は、『精神の現象学』の体系構想を『デ・アニマ』から解明することを課題としている。ヘーゲルが『精神の現象学』を「学の体系第一部」に据えたとき、そこには『デ・アニマ』からの決定的な作用を読み取ることができるだろう。『現象学』の「理性」の定義が、『デ・アニマ』の「受動理性」の据え直しであることは、その端的なあらわれである。しかし、そもそもヘーゲルの「学の体系」を、どうしてアリストテレスの「理性」論から理解する必要があるのだろうか。ヘーゲルは、アリストテレスをどう解釈していたのであろうか。アリストテレス解釈はヘーゲルの「学の体系」にいかなる影響を与えたのだろうか。これを具体的に明らかにすることが、ここで遂行される。