- 著者
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岡田 安樹浩
- 出版者
- 日本音楽学会
- 雑誌
- 音楽学 (ISSN:00302597)
- 巻号頁・発行日
- vol.62, no.1, pp.31-45, 2016 (Released:2017-10-15)
ワーグナーは、ドレスデンで《タンホイザー》を初演(1845年)してからパリでの上演のために改変(1860から61年)を行なうまでの間に、すでに4つの新しい舞台作品(すなわち《ローエングリン》から《トリスタン》まで)を完成していたが、若干の例外を除いて、当時彼はそれらの響きを実際に聴いたことはなかった。彼のパリでの改変の目的は、第1幕の最初の2場面を改めることと、いくつかのオーケストラ部分を加筆修正することであり、本論文ではこの点に着目し、パリで改変された《タンホイザー》の管弦楽法を他の総譜と比較しつつ分析を行ない、以下の特徴を明らかにした。
1. 特にバレエ場面においては、激しく揺動する弦楽器のパッセージがつねに木管楽器やホルンによって重複されている。すでに《トリスタン》にも見られたこの技法は、彼の後期作品に典型的な特徴でもある。
2. 改訂された第2場の音楽は、「網目技法」や音色を漸次的に変化させる技法によって特徴づけられている。この技法は、ヴェ―ヌスの音楽のためだけでなく《マイスタージンガー》や《パルジファル》といった後の楽劇にも用いられている。また〈ヴェーヌスのアリア〉では、ソロ・ヴィオラとソロ・チェロのフラジョレット奏法による保持音と弦のトレモロ音形との組み合わせによる一風変わった響きが鳴り響くが、これは《ジークフリート》第2幕で再現されることになった。
3. 《指環》の最初の2つの総譜において試みられていた実験的な楽器の取り扱いや特別な音響効果を意図した管弦楽法が、バレエ場面と幕切れに再現されている。こうしたことは、ワーグナーがパリでの《タンホイザー》の上演を、《トリスタン》までに発展させた実験的な管弦楽法を、実際の音響として現実化するための好機と考えていたことを暗示している。そしてさらに、パリでの《タンホイザー》の経験は、彼の後期の創作に大きく作用をすることになったのである。