著者
岡田 茂弘
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学史料館紀要 (ISSN:02890860)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.249-265, 2003-03
著者
岡田 茂弘 千田 嘉博 山本 光正
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
一般研究(B)
巻号頁・発行日
1993

近世において将軍家(大御所・世子を含む)が旅行や外出する際の宿泊・休憩のために、御殿・御茶屋と呼ばれる施設がつくられていた。その用途は旅行用と遊楽用であり、前者には上洛・駿府往復・日光社参等があり、後者には鷹狩等の狩猟や湯治等がある。特に頻繁に外出・旅行を行った徳川家康・秀忠・家光が造営した御殿・御茶屋は関東から近畿にかけて約100ヶ所が史料上で知られている。わずかに残る施設絵図や廃止以降の村絵図等から、それが比較的単純な居館的な構造であったと判るが、中性以来連綿と続いてきた武士の居館の最末期の姿であるとともに、近世の武家屋敷へ繋がるものでもある。しかし、17世紀末までに廃止されたため関連史料が少ない上、近代以降に開発で遺跡も破壊されてきたために、実体の解明はほとんどなされていなかった。このため、本研究では、比較的遺跡の保存が良好である千葉御茶屋御殿跡の発掘調査を契機として、近世初期の将軍家御殿・御茶屋跡の史料を集成し、遺跡の現状調査を行うと共に、千葉御茶屋御殿跡・鴻巣御殿跡・浦和御殿跡の発掘を伴う遺跡の現地調査を実施した。遺跡全体を発掘調査できたのは、千葉御茶屋御殿跡だけであり、他の2ヶ所は部分的な調査にとどまったが、立地や規模の大小に違いはあっても、主として土塁・空堀による外郭施設内に簡単な書院造り風の建物群を中心とした諸施設が配置されているなど、共通性を有することが明らかになった。さらに、多数の施設が列記されている17世紀中葉(寛永年間)以降の御殿目録や御殿絵図と比較すると、17世紀初期の御殿等はより単純であることが判った。このことは、家光治下で御殿・御茶屋の大規模な修築が行われたことを暗示しており、近世史の分野でも文献史料や絵図資料と考古学資料との対比の必要性が明らかとなった。