著者
島 大吾
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.157-185, 2022-03-31

「ひめゆり学徒隊」は,沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という2 校から動員された未成年の女学生によって1945 年に編成された。沖縄戦開始と同時に動員されて戦場で看護活動にあたった彼女たちは,その大半が戦場で命を落とした。今日に至るまで「ひめゆり学徒隊」はさまざまな媒体で物語として語られ,沖縄戦の悲劇を象徴する存在として知られている。本稿はその数多くの作品の中でも1945 年から1953 年までに製作および発表されたものに焦点を当て,それぞれの作品の「ひめゆり学徒隊」描写が,1953 年の宝塚版『ひめゆりの塔』に与えた影響について考察する。菊田一夫は戦中に劇作家として戦意高揚劇を量産した自らの責任を自覚し,戦意高揚劇に熱狂した観客と劇作家の自身との関係を,「ひめゆり学徒隊」と引率教員との間に見出して,宝塚版『ひめゆりの塔』の脚本に投影していた。同時代のナラティヴと比較検討することで,本稿は,宝塚版『ひめゆりの塔』が,戦争の「被害者」をどのような多層的なイメージとして描き出したのかを明らかにする。