著者
畠山 香織
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.315-334, 2013-03

はじめにⅠ 近代以降の中国人による日本「武士道」に関する言説 1,「武士」,「武士道」の言葉の解釈及び黄遵憲『日本雑事詩』 2,梁啓超の『中国之武士道』 3,辜鴻銘の『中国文明の復興と日本』 4,戴季陶の『日本論』 5,周作人の『日本管窺』Ⅱ 近年中国の日本文化研究に言及される「武士道」 1,「武士道」関連書物の翻訳・出版 2,一般的な日本文化紹介の書物から終わりに
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.301-325, 2018-03

日本では,しばしば,イエスは馬小屋で生まれたと言われる。しかし,西ヨーロッパにおいては,イエスが生まれたのは,家畜小屋である。日本における馬小屋伝承の起源については,これまで研究がなかった。 キリシタン書では,イエスの生まれた場所は,しばしば,「うまや」とされていた。この語は,語源的には馬小屋を意味するが,牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は,家畜小屋の意味で使われたと考えられる。本稿では,禁教時代を経てキリスト教解禁以後,「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて,馬小屋伝承が流布し定着したという仮説を提案した。その他に,以下の要因が働いた可能性も指摘した。(1)聖徳太子が厩の前で生まれたという伝説に影響された。(2)英語においてイエスの生まれた家畜小屋を指すにはstable が用いられる。しかし,この語は,通常,馬小屋を指すように意味変化している。(3)ルカ2 章に出てくる飼い葉桶の適当な訳語がなく,『明治元訳聖書』や『大正改訳』などの日本語訳聖書で「槽(うまぶね)」や「馬槽(うまぶね)」が用いられた。
著者
瓜生 濃世
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.49-66, 2013-03

本稿では,筆者が2010 年度から2012 年度春学期に京都産業大学にて行った「フランス文学 概論」での実践を基に,学習者の関心を高めるための技法について考察する。最初に今日の大 学生の性質と特徴に焦点をあて,従来の発想では円滑な授業運営が困難となっている理由を確 認する。次に講義形式の授業において導入可能な技法とその効果について検討し,「文学」を どのような側面から扱えば学習者の関心を呼び起こすことが可能であるか提言したい。今日の 学習者に適合するよう創意工夫すれば,文学の授業が彼らの知的好奇心を涵養する場となるこ とは十分可能であると思われる。
著者
李 丹慧[著] 吉田 豊子[訳]
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.407-430, 2015-03

中国の新疆におけるソ僑〔ソ連国籍をもつ新疆の人〕及びその膨大かつ複雑な社会関係のネットワークは,ソ連が新疆で影響力を拡大し維持する広くかつ深い社会的基盤となっていた。とりわけ1940 年代の半ばには,このような特殊な集団は新疆において実際にある種の「国の中の国」という状況を作り出していた。このような状態は,中華人民共和国の成立後においても続いたのである。新疆のソ僑協会はソ僑の集団を一層凝集させ,新疆におけるソ連の社会的基 盤を強固にした。そして,1950 年代半ばからグループに分かれて帰国したソ僑は,自分たちと新疆域内の親族及びその社会関係とをつなぐルートを築いた。中ソ関係に亀裂が生じた時に,ソ連は新疆におけるソ連籍幹部を勢力の中核とし,帰国ソ僑をルートにして,中国の反修正主義闘争の方針に対応しようとした。中ソが分裂した後,帰国ソ僑と新疆の辺疆地域の人民との間の相互関係の発展にともなって,潜在していた新疆地区の民族分裂の情緒が噴出し,ソ連の中央アジア地域の各加盟共和国が,ある程度,新疆の民族分裂主義のガソリン・スタンドや大本営となり,新疆は中ソ友好の基地や戦略的大後方から,中国がソ連の修正主義に対抗する中心的な地域となり,イリはさらに反修正主義闘争の前線基地となってしまった。
著者
内田 健一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.233-254, 2015-03

ダンヌンツィオの言葉は,マンゾーニ派の目指した「日常的」なものと全く異なる,とりわけ「文学的」なものであった。にもかかわらず,彼の言葉は社会に大きな影響を与え,低劣な「ダンヌンツィオ主義」を生み出した。そこで本稿では,彼の言葉の実像を,彼自身の証言を通時的に検討することによって,彼の人生との関わりも含めて明らかにする。 1888 年の記事〈ジャウフレ・リュデル〉で,カルドゥッチの散文における言葉の音楽性と語源の探求を賞讃するが,実はそれらはダンヌンツィオ自身の理想に他ならない(第1 章)。1889 年の小説『快楽』では,「詩こそ全て」と言葉の全能性を認め,トスカーナ語の伝統への愛着を表明する(第2 章)。1894 年の小説『死の勝利』の献辞で,ダンヌンツィオは自らを言葉の冒険者として描き,イタリアの威信を高める言葉の創出を目指す(第3 章)。1895 年の小説『岩窟の乙女たち』において,言葉と民族主義の深い結び付きを示す。ここで言葉は虚構の道具ではなく現実的な「武器」と見なされる(第4 章)。1900 年の講演〈ダンテの神殿〉でダンヌンツィオは,カルドゥッチに代わる「詩聖」として,言語の崇拝を司る(第5 章)。同じ1900 年の小説『火』で,作品という虚構の中ではあるが,理想的に芸術と人生が一致する。詩人の言葉は,英雄の身振りと同じように,「行為」と見なされる(第6 章)。1903 年の詩篇『マイア』では,「民族の神話的な力」として讃えられる言葉を用いて,詩人は新しい時代の訪れを告げる(第7 章)。1906 年の『散文選集』の出版の経緯から,ダンヌンツィオの言葉に対する誠実さが窺われる。その「前書き」には言葉の「師匠」としての自負が表れる(第8章)。1913 年の伝記『コーラ・ディ・リエンツォの人生』の献辞では,クルスカ学会を揶揄しつつ,言葉の「精華」を追求する自らの姿を描く(第9 章)。『鉄槌の火花』の一つ,1924 年の随筆『ルクレツィア・ブーティの第二の愛人』では,寄宿学校の日々を回想する中で,トスカーナ語への執着とマンゾーニ派への反感を語る(第10 章)。1935 年の自叙伝『秘密の本』で,年老いたダンヌンツィオは言葉を「交流」ではなく「表現」の手段と考える。そして彼の言葉と人生は神秘的な合一に達する(第11 章)。 ダンヌンツィオにとって,はじめカルドゥッチは言葉だけではなく新しい自由の指導者でもあったが,次第に束縛となる。1907 年の師匠の死によって解放されたダンヌンツィオは,劇場と戦場で本当の自分らしい人生を追求する。そこで彼は自らの生命のリズムに言葉を合わせることによって,より広く深い自由の世界を表現することができた。
著者
中川 さつき
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.97-113, 2010-03

十八世紀前半の歌劇場の花形はカストラートが演じる男性主人公であり,彼らが悲嘆に暮れる場面が全幕のクライマックスであった。メタスタジオの音楽劇において,主人公である貴公子は優しく典雅な姿に描かれ,彼らが愛する人々に別れを告げて泣きながら去る様子に,当時の観客は涙を抑えられなかったという。とりわけ主人公が無実の罪で牢獄に捕らわれる場面は人気が高く,不運な王子が傷つき苦しむ姿に人々は熱狂した。一方で彼らのパートナーとなる女性主人公は誇り高く雄弁な,理想化された貴婦人である。王子たちは彼女を崇拝し,彼女を通して美徳を学ぶ。威厳を備えた貴婦人と,女性よりも優しく繊細な心を持つ貴公子という組み合わせが当時のオペラにおける理想のカップルである。そして高い音域で歌うカストラートという人種は,そんな男性主人公を表現するために最も適していたのである。
著者
小林 卓也
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.181-194, 2013-03

本稿の課題は,フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと,精神分析を専門とするフェリック ス・ガタリとの共著『千のプラトー』(1980)に見いだされる言語観の内実とその射程を明ら かにすることである。彼らが端的に述べているように,「あらゆる言語(langue)は本質的に 非等質的な,混合した現実である」。しかし,チョムスキーによる生成文法を念頭に置きなが ら,言語学はこうした言語現象の多様性に目を向けようとせず,文法規則や言語の等質的体系 性を抽出することだけに終始しており,そこには,われわれの多様な言語活動を均質化し規格 化することで,自らの科学性を担保する政治的関心しかないと彼らは批判する。ここには,言 語を異質な要素からなる多様体とし,その多様性をいかに捉えるのかという彼らの企図が明瞭 に現れている。本稿は,こうした彼らの言語観がどのような問題意識と結びついているのかを 以下の手順で明らかにする。 まず,『千のプラトー』において彼らがジョン・L・オースティンの発話内行為に見出した 論点を確認し(第一章),それが60 年代のドゥルーズ哲学の延長上にあることを指摘する(第 二章)。というのもドゥルーズこそ,言語の本質を,身体や行為といった物理的なものと,そ れによって表現される意味や出来事といった非物体的なものの二元性という論点から考察して いたのであり,『千のプラトー』の主眼は,その言語の二元性の連接をいかに捉えるのかとい うことにあるからだ。こうした論点からすると,注目されるべきは『千のプラトー』において ルイ・イェルムスレウが占める役割である。イェルムスレウ言語学における表現と内容の連帯 性,および形式と実質という概念の導入は,言語における二元性への問いに一定の回答を与え ている(第三章)。最後に,彼らの議論がいわゆる言語理論の枠内に留まることなく,とりわ け彼らがミシェル・フーコーと共有するある歴史認識と結びついていることを確認し,その理 論的射程を特定したい。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.211-238, 2014-03

多くの言語において,電気器具のつけ消しを表すのに,火をつけたり消したりすることを表す動詞を用いる(フランス語 allumer/éteindre,日本語「つける/ 消す」など)。これは火による照明器具について用いられた動詞が電灯に転用され,それが電気器具一般に拡張されたものと考えられる。この過程で,電灯は電気器具のプロトタイプの機能を果たしたと考えることができる。 同じ行為を表すのに開閉を表す動詞を用いる言語も多く存在する(フランス語 ouvrir/fermer,中国語「开/ 关」など)。これは,以下の機序に大きくよっている。すなわち電気器具のつけ消しをメトニミーにより電気を流したり止めたりすることで表し,それをメタファーにより電気の通り道の開閉に見立てたのである。 それ以外にも,別の意味の動詞,句動詞,接頭辞付きの動詞を用いる方法がある。エスペラントは電気器具をつけることを表すために新しい単一の動詞を用意している点で特異である。電気器具をつけるという概念はある程度抽象的であり,これを表現するには自然言語は何らかの方略に訴えるのである。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.301-325, 2018-03

日本では,しばしば,イエスは馬小屋で生まれたと言われる。しかし,西ヨーロッパにおいては,イエスが生まれたのは,家畜小屋である。日本における馬小屋伝承の起源については,これまで研究がなかった。 キリシタン書では,イエスの生まれた場所は,しばしば,「うまや」とされていた。この語は,語源的には馬小屋を意味するが,牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は,家畜小屋の意味で使われたと考えられる。本稿では,禁教時代を経てキリスト教解禁以後,「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて,馬小屋伝承が流布し定着したという仮説を提案した。その他に,以下の要因が働いた可能性も指摘した。(1)聖徳太子が厩の前で生まれたという伝説に影響された。(2)英語においてイエスの生まれた家畜小屋を指すにはstable が用いられる。しかし,この語は,通常,馬小屋を指すように意味変化している。(3)ルカ2 章に出てくる飼い葉桶の適当な訳語がなく,『明治元訳聖書』や『大正改訳』などの日本語訳聖書で「槽(うまぶね)」や「馬槽(うまぶね)」が用いられた。
著者
中川 さつき
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.79-93, 2008-03

メタスタジオのオペラ『シーロのアキッレ』は1736 年にマリア・テレジアの結婚式において初演された。この作品の特徴は主人公が女装していることである。アキッレは劇の冒頭から第二幕の終わりまで女性の姿で現れる。生まれながらの戦士は,リコメーデ王の宮廷で完璧に侍女になりすましているのである。このオペラは初演で大成功を収め,女装という主題にもかかわらず婚礼の祝典にふさわしいと考えられた。その理由は二つ考えられる。第一に十八世紀のイタリア・オペラにおいて英雄役はカストラートが歌い,彼らの高い声は女性性よりも偉大さの象徴であったこと。第二にアキッレはスカートや竪琴につねに嫌悪を催しており,栄光を求める彼は最終的にはトロイア戦争へと船出すること。この台本にはバロック・オペラ的な性的曖昧さとアンシャン・レジームにおける男性的な美徳の双方が読み取れるのである。
著者
内田 健一
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.233-254, 2015-03

ダンヌンツィオの言葉は,マンゾーニ派の目指した「日常的」なものと全く異なる,とりわけ「文学的」なものであった。にもかかわらず,彼の言葉は社会に大きな影響を与え,低劣な「ダンヌンツィオ主義」を生み出した。そこで本稿では,彼の言葉の実像を,彼自身の証言を通時的に検討することによって,彼の人生との関わりも含めて明らかにする。 1888 年の記事〈ジャウフレ・リュデル〉で,カルドゥッチの散文における言葉の音楽性と語源の探求を賞讃するが,実はそれらはダンヌンツィオ自身の理想に他ならない(第1 章)。1889 年の小説『快楽』では,「詩こそ全て」と言葉の全能性を認め,トスカーナ語の伝統への愛着を表明する(第2 章)。1894 年の小説『死の勝利』の献辞で,ダンヌンツィオは自らを言葉の冒険者として描き,イタリアの威信を高める言葉の創出を目指す(第3 章)。1895 年の小説『岩窟の乙女たち』において,言葉と民族主義の深い結び付きを示す。ここで言葉は虚構の道具ではなく現実的な「武器」と見なされる(第4 章)。1900 年の講演〈ダンテの神殿〉でダンヌンツィオは,カルドゥッチに代わる「詩聖」として,言語の崇拝を司る(第5 章)。同じ1900 年の小説『火』で,作品という虚構の中ではあるが,理想的に芸術と人生が一致する。詩人の言葉は,英雄の身振りと同じように,「行為」と見なされる(第6 章)。1903 年の詩篇『マイア』では,「民族の神話的な力」として讃えられる言葉を用いて,詩人は新しい時代の訪れを告げる(第7 章)。1906 年の『散文選集』の出版の経緯から,ダンヌンツィオの言葉に対する誠実さが窺われる。その「前書き」には言葉の「師匠」としての自負が表れる(第8章)。1913 年の伝記『コーラ・ディ・リエンツォの人生』の献辞では,クルスカ学会を揶揄しつつ,言葉の「精華」を追求する自らの姿を描く(第9 章)。『鉄槌の火花』の一つ,1924 年の随筆『ルクレツィア・ブーティの第二の愛人』では,寄宿学校の日々を回想する中で,トスカーナ語への執着とマンゾーニ派への反感を語る(第10 章)。1935 年の自叙伝『秘密の本』で,年老いたダンヌンツィオは言葉を「交流」ではなく「表現」の手段と考える。そして彼の言葉と人生は神秘的な合一に達する(第11 章)。 ダンヌンツィオにとって,はじめカルドゥッチは言葉だけではなく新しい自由の指導者でもあったが,次第に束縛となる。1907 年の師匠の死によって解放されたダンヌンツィオは,劇場と戦場で本当の自分らしい人生を追求する。そこで彼は自らの生命のリズムに言葉を合わせることによって,より広く深い自由の世界を表現することができた。
著者
吉 基泰[著] 近藤 浩一[訳]
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.425-443, 2013-03

1.はじめに2.仏教医学の受容3.呪禁師の活動4.薬師信仰の展開5.おわりに
著者
池田 昌広
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.129-143, 2016-03

はじめに1 詩語「猿声」の成立2 嘯と悲哀の表現3 猿声と嘯おわりに