著者
崔 文婕
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.123-140, 2022-01-31

本論は,映画監督・脚本家の大和屋竺が独自に構築し,J ホラーにも影響を与えた「恐怖映画論」の背景についての研究である。彼の書いたもの(体系的ではない)を縦断して得られる「恐怖映画」の認識は一見,同時代の日本映画批評と同じ土壌にありながら,大和屋自身の経験(たとえば本土から離れた北海道出身であること,インドでの流浪体験など)と,思想(西洋思想に影響されるのではなく,自分の実体験に基づく思考)によって,独自の寓喩性に向かう進展を見せた。基本にあったのは,現代美術の「オブジェ」を捉える着眼,さらにはアヴァンギャルディズムとドキュメンタリズムに関わる見解で,彼の述懐では,日活へ入社して具体的に映画作家の道に入る前に,花田清輝と松本俊夫から影響を受けている。また,オブジェに関する見解もほぼ松本俊夫を踏襲している。ところがその後の大和屋自身の奔放な映画評論,あるいは師匠・鈴木清順の「非連続」の美学への接近により,さらに本質的・前衛的な恐怖映画観が生まれた(それを,J ホラーブームを牽引したひとり高橋洋らに継承される)。本論は大和屋の映画理論の源流の探求を目的に,彼の実作活動と批評活動に照明を当て,松本俊夫のアヴァンギャルド理論との相違点を明らかにする。第一節では,大和屋のオブジェ論を中心に,松本俊夫のシュルレアリスム=ドキュメンタリズムを特徴づける「オブジェ」から,大和屋の見解がいかに離反していったかを検証する。従来も映写機,ダッチワイフなど,大和屋が作品に頻用するオブジェは,彼の作品の大きな特徴として認識されてきた。これらは明らかに松本俊夫のオブジェ論の影響下にあるとされてきたが,実際は作家が「ものを見つめる」主体的な発見よりオブジェが各状況内に変貌していく「ダイナミズム」がそこに加味されることで,松本理論からの超越も図られている。第二節では,「凝視」における松本俊夫のアヴァンギャルド理論と大和屋の映画理論との相違性を分析することで,松本俊夫の理論の重点である作家の主体性からどのように大和屋が宣言したインパーソナルなエロダクション運動になり代わったかを明らかにし,大和屋の映画理論における作家の問題を解明する。第三節では,大和屋と同時代に書かれた松本俊夫の「状況」の概念と大和屋が多用する評論用語「地獄」との同質性を分析することで,両者の関連性をさらに確定する。特に,松本の状況論における早期の主体論からの転向が,「オブジェ」,「凝視」における大和屋の超越と同質化していったことを解明し,大和屋の理論の重要性を明らかにする。