著者
嵩 大樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.59, 2013 (Released:2013-09-04)

今日の大都市圏における居住地移動は錯綜している。戦後からの東京大都市圏は、東京駅を中心とし、西部地域から時計回りに広がりを見せてきた。そして、バブル期には東京大都市圏は拡大し、千葉県の大都市圏外縁部までを飲み込んだ。しかし、バブル期が終わると、地価の下落に伴い、大都市圏内の住宅取得価格が大幅に下落した。加えて、マンションでの生活がこれまで以上に浸透し、都心部でのマンション開発が行われたことから、郊外住宅地の衰退が見られるようになった。特に、大都市圏外縁部では、郊外住宅地としての性格を弱めた。現在では、居住地移動は都心回帰および郊外住宅地の二分し、主に戸建住宅取得希望者には郊外住宅地への外向移動がはたらいているものの、それは限定的な地域であるとされる。人口減少時代を迎えた今日、郊外住宅地の研究としてはむしろ、衰退を懸念する研究が多い。東京大都市圏の郊外への需要においては、30㎞圏~40㎞圏が中心となると予測されている。 しかし、東京大都市圏周縁部である木更津市ではそのような居住地移動の中で、人口増加が起こっている。その動きは、これまで述べられてきた東京大都市圏の居住地移動の流れとは異なる。本稿は、その居住地移動を検討すべく、木更津市内の新興住宅地である請西南地区、ほたる野地区、羽鳥野地区の3地区を事例として取り上げ、居住者特性や通勤行動を通して人口増加が起こっている要因を明らかにしようとしたものである。本稿では研究対象地域を詳細に絞り、アンケート調査を用いることであえてミクロな研究として、統計上では知り得なかった細部にわたる居住者特性や通勤行動を知ることが可能となった。 木更津市はバブル期の終わりと土地神話の終焉から地価が暴落した。その影響で、現在では横浜市の約7分の1、東京都区部の約20分の1という地価となっているため、他の地域よりも広い戸建住宅が安価に取得できる。アンケート調査によれば、35歳~39歳で子どもが2人いる4人家族の核家族世帯が最も多かった。前住地は主に、木更津市内や隣接市など地域間移動が卓越していたが、対岸の東京都や神奈川県からの転入者や千葉市からの転入者も見られた。現住居居住理由は、「土地・住宅が安価」や「戸建住宅の希望」が2大要因であった。前住の住居が賃貸住宅の世帯が多かったことが要因であろう。3番目の理由として、木更津市内や隣接市の居住者は「生活環境の良さ」を選択したが、前住地が対岸地域の居住者は「通勤が便利」や「自然が多い」を選んでいた。また、この地域からは60歳以上の居住者が見られたことから、老後の最終ライフステージとして研究対象地域が選ばれている。通勤行動として、木更津市内や隣接市への通勤者が最も多かった。このことから、「郊外就業―郊外居住」の職住近接が中心であるといえる。このことから、これまで大都市圏郊外の衰退が地理学において多く議論されてきたが、それはあくまでも東京に通勤する人が多い郊外、即ちベットタウンにおける話であり、木更津市のような東京大都市圏周縁部では、その地域とは性格が異なり、元々郊外の就業を目的とした人が多いことから、一義的な郊外衰退の議論の中に位置づけることは難しいと考えられる。木更津市では職住近接が卓越していることから、大都市圏周縁部には雇用が多いことがわかり、その就業を目的とする居住者が多く存在している限り、大都市圏周縁部は郊外とは相対的な動きを見せると考えられる。他方で、東京都や神奈川県への通勤行動が全体の18.2%も見られた。それらの世帯は、通勤が便利という理由で木更津市へ転居した世帯が多く、アクアライン経由の高速バスを利用している。その高速バスや自動車において、1時間前後で東京都内や神奈川県内の通勤が可能なことで、アクアラインが公共交通として一般化されてきたといえるだろう。そのことが木更津市と東京都や神奈川県との近接性を高めたと考えられる。今や木更津市は千葉市、東京23区、川崎市、横浜市といった大都市圏中心市との近接性の高まりが見られ、そのことが人口増加につながった要因であるだろう。 近年、木更津市内における新たな区画整理と地価の減少に加え、アクアラインの社会実験や高速バスの増便が引き金となり、人口増加が見られるようになった。そして、その区画整理が行われた新興住宅地において、東京都や神奈川県への通勤者が増加している。従って木更津市は今や、東京のベットタウンとしての性格を持ち始めてきたといえる。言い換えれば、木更津市は東京大都市圏周縁部であったが、東京大都市圏内に含まれるようになったと考えられる。