著者
川田 真弘 Masahiro KAWADA
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 = Otemae Journal (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.261-274, 2017-03-31

福島県会津若松市東部にある飯盛山は、白虎隊自刃の地として知られ、山の中腹には亡くなった白虎隊士を偲んだ墓があり、その墓の対面にはイタリアから送られたという記念碑がある。この記念碑が寄贈された当時(1928年)の新聞に、下位春吉(1883~1954)という人物が、売名目的で記念碑建立計画を会津出身者に持ちかけた、という内容の記事が掲載されている。本稿では、下位春吉とはどのような人物であり、白虎隊記念碑がどのような経緯で建立されることになったのかを検討する。本稿では、まず下位春吉がどのような人物であるのかを示し、また下位名義で出版された本を基に、彼がファシズムをどのように見ていたのかを考える。次いで、外務省外交資料館所蔵の『本邦記念物関係雑件/白虎隊記念碑関係 第一巻』を基にどのような経緯で白虎隊記念碑が建立されたのかを概観。そして最後に、下位がでたらめの白虎隊碑建立計画をもちかけた理由として、下位自身とムッソリーニとの近しさをアピールすることで、日本国内における下位のファシストとしての地位を明らかにすることを目的としていたと考察する。