著者
市村 卓彦
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.30, no.2, pp.1-12, 2009-03-12
著者
市村 卓彦
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.27-41, 2006-09

拙論は、フランス国アルザスのルネサンス時代において、その当時最も優れた文学作品のひとつである風刺詩集『阿呆船』と、その著者セバスティアン・ブラント(1458-1510)を取り上げる。『阿呆船』は現代フランスの思想史家ミシェル・フーコーがその『狂気の歴史』において、狂気についてのすぐれた文学的例証であると指摘した作品である。ブラントの『阿呆船』は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』に先駆するヨーロッパ世界で最初のベストセラー作品となり、もっとも読まれる作品となった。ブラントはバーゼル大学法学部に学び、のちに母校の法学部長を長く勤めた後、生まれ故郷のストラスブールに戻って市参事会書記に転進し、ストラスブールの名声を高めるとともにアルザスの人文主義(ユマニスム)を発展させている。拙論はブラントの生涯と当時のストラスブールの文化状況(活版印刷術の発明など)についても考察する。
著者
市村 卓彦
出版者
龍谷大学
雑誌
龍谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.27, no.2, pp.79-89, 2006-01-31

ナチドイツに占領併合されたドイツ国境のフランス・アルザス地方の劇作家ジェルマン・ジャン=ピエール・ミュレールはアルザスの現代文学史に名をとどめるだろう。ナチドイツから解放された直後のアルザスで劇団『バラブリ』を創設し,以後40年間演劇シーズンを送り,観客動員数4万人以上を数えている。彼の活動の歴史はアルザス人にとってきわめて意義深い。戦後のアルザス人のコンプレクスの抑圧を解放し,そのアイデンティティーを再発見させたからである。本稿はこの劇作家・俳優としてアルザス文学史に名を止めたジェルマン・ミュレールについて取り上げたい。1933年1月30日,政権を掌握したヒトラーはナチドイツの一党独裁を確立し,兵役義務制の復活と再軍備を宣言し,軍備を拡充するとともに,自給自足の「生活圏」を建設しようと,猛烈な侵略政策に出た。1939年6月15日,ナチドイツは宣戦布告なくポーランドに侵攻した。これに対してフランスとイギリスはドイツに宣戦を布告,ここに第二次世界大戦が始まった。ドイツ軍はポーランドを3週間で圧倒した。さらに1940年5月10日,西部戦線で大攻勢に成功し,北フランスからパリに殺到,6月14日,早くもパリは陥落した。フランス政府は休戦派が17日,ヴェルダンの英雄フィリップ・ペタンを首相とする内閣を組閣,6月22日,ペタン政府はドイツと休戦協定を結んだ。このほぼ同時期の1940年6月15日朝,ドイツ軍はアルザスに侵攻を開始,特に大きな反撃を受けることもなく6月19日午前,ストラスブールに無血入城した。その後ドイツ軍は撤退せず,事実上,アルザスを第三帝国の地方行政組織であるバーデン=アルザス大管区に併合した。こうしてアルザスはナチドイツの占領支配のもとに置かれ自由を剥奪され魂の死を強要された。1942年8月25日はアルザス人にとって第二次世界大戦下で最悪の悲劇の日となった。この日ナチドイツは,占領下の他国民を占領軍に強制徴募することを禁じたハーグ条約を公然とふみにじってアルザスに国防軍兵役義務制を導入したからである。開戦時フランス軍の軍服を着用して前線に向かったアルザス人将兵は,今度は強制的にドイツ国防軍に徴兵されることになったのである。アルザスは1945年3月19日,連合国軍によって完全に解放され,フランスに復帰したが,ミュレールはアルザス解放後の1946年12月14日,劇団『バラブリ』を結成した。この劇団はアルザス人の戦時下のコンプレクスから解放させ,アルザス人のアイデンティティーを再発見させるのに大いに寄与したのである。ミュレールの作品はアルザス語で書かれたことによって,アルザス人の鏡の役割を果たしたといわれる。アルザス語とアルザス文化を顕揚する独自な活動を行なった。ミュレールの作品は歴史に翻弄されるアルザス人の欝屈した状況をユーモアをこめ,共感をもって描いた。バラブリは以後1988年まで40年間にわたって芸術的喜びを提供したのである。