著者
帖佐 尚人
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 = Quarterly journal of welfare society (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.33-42, 2017-07

メリカにおける若年妊娠・出産(personal responsibility education program, PREP)は、若者の重大なリスク行動として多大な関心が払われてた。ところがこうした問題行動は、ここ30年ほどで大幅な減少傾向にあることが統計的に明らかになっている。このような、アメリカにおける若年妊娠・出産の減少傾向は、学校等で実施される性教育の充実・発展と無関係ではない。と言うのも、2010年代に入るとアメリカでは、オバマ政権下で自己責任教育プログラム(personal responsibility education program, PREP)が推進されることになるのだが、この自己責任教育こそが若年妊娠・出産の予防において重要な役割を果たしていると考えられるのである。そこで本稿では、この自己責任教育の概要について述べたうえで、幾つかのそのプログラムの実際を分析し、その特徴及び今後の課題について整理・検討していく。
著者
帖佐 尚人
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 = Quarterly journal of welfare society (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.17-26, 2014-10

「親のライセンス化」論は、子の出産・養育に先立って、全ての親に一定のライセンス取得手続きを要求することで不適格な親(incompetent parent)を排除し、全ての子どもが適格性を有する親による保護・養育を受けられるようにすることを企図したもので、1980年にアメリカの倫理学者H.ラフオレットが提唱して以降、賛否両論の活発な議論が展開された。しかし、実のところこの主張は極めて極端なものであり、あくまで思考実験レベルでの議論にとどまるものであると捉えるのが妥当であろう。そこで本稿では、この「親のライセンス化」の代替策、つまり親の権利制約をより少ない次元にとどめつつも、一方で児童虐待を事前的レベルで抑制し得る理論・制度を探求することを目的として、アメリカの児童精神医学者J.ウェストマンの青年期妊娠・出産規制論を検討する。彼の主張は、別稿で取り上げた上記のラフオレットの代替的理論とは異なり、「親のライセンス化」という発想の実質的な放棄を試みている点で特徴的と言えよう。
著者
帖佐 尚人 チョウサ ナオト Chosa Naoto
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 = Quarterly journal of welfare society (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.17-26, 2014-10

「親のライセンス化」論は、子の出産・養育に先立って、全ての親に一定のライセンス取得手続きを要求することで不適格な親(incompetent parent)を排除し、全ての子どもが適格性を有する親による保護・養育を受けられるようにすることを企図したもので、1980年にアメリカの倫理学者H.ラフオレットが提唱して以降、賛否両論の活発な議論が展開された。しかし、実のところこの主張は極めて極端なものであり、あくまで思考実験レベルでの議論にとどまるものであると捉えるのが妥当であろう。そこで本稿では、この「親のライセンス化」の代替策、つまり親の権利制約をより少ない次元にとどめつつも、一方で児童虐待を事前的レベルで抑制し得る理論・制度を探求することを目的として、アメリカの児童精神医学者J.ウェストマンの青年期妊娠・出産規制論を検討する。彼の主張は、別稿で取り上げた上記のラフオレットの代替的理論とは異なり、「親のライセンス化」という発想の実質的な放棄を試みている点で特徴的と言えよう。The theory of licensing parents aims to exclude incompetent parents from childrearing and to give every childappropriate protection and nurture of competent parents to every child, by requiring all parents to be licensed beforehaving children. After American ethicist Hugh LaFollette proposed the claim in 1980, the active arguments of the pros andcons have been developed in the United States.However, it is probably appropriate to remain his assertion as thought experiment level because it is extremelyunrealistic. Therefore we have to seek alternatives of licensing parents, which can put less restriction on parental rights andalso can protect from child abuse in advance.So in this paper, I analyze American child psychiatrist Jack C. Westman's claim of preventing adolescent parenthood.His claim is different from Hugh LaFollette's which I formerly analyzed, and it is characteristic that he is trying toabandon the idea of licensing parents practically.
著者
帖佐 尚人 チョウサ ナオト Chosa Naoto
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 = Quarterly journal of welfare society (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.17-26, 2014-10

「親のライセンス化」論は、子の出産・養育に先立って、全ての親に一定のライセンス取得手続きを要求することで不適格な親(incompetent parent)を排除し、全ての子どもが適格性を有する親による保護・養育を受けられるようにすることを企図したもので、1980年にアメリカの倫理学者H.ラフオレットが提唱して以降、賛否両論の活発な議論が展開された。しかし、実のところこの主張は極めて極端なものであり、あくまで思考実験レベルでの議論にとどまるものであると捉えるのが妥当であろう。そこで本稿では、この「親のライセンス化」の代替策、つまり親の権利制約をより少ない次元にとどめつつも、一方で児童虐待を事前的レベルで抑制し得る理論・制度を探求することを目的として、アメリカの児童精神医学者J.ウェストマンの青年期妊娠・出産規制論を検討する。彼の主張は、別稿で取り上げた上記のラフオレットの代替的理論とは異なり、「親のライセンス化」という発想の実質的な放棄を試みている点で特徴的と言えよう。The theory of licensing parents aims to exclude incompetent parents from childrearing and to give every childappropriate protection and nurture of competent parents to every child, by requiring all parents to be licensed beforehaving children. After American ethicist Hugh LaFollette proposed the claim in 1980, the active arguments of the pros andcons have been developed in the United States.However, it is probably appropriate to remain his assertion as thought experiment level because it is extremelyunrealistic. Therefore we have to seek alternatives of licensing parents, which can put less restriction on parental rights andalso can protect from child abuse in advance.So in this paper, I analyze American child psychiatrist Jack C. Westman's claim of preventing adolescent parenthood.His claim is different from Hugh LaFollette's which I formerly analyzed, and it is characteristic that he is trying toabandon the idea of licensing parents practically.