- 著者
-
平山 賢一
- 出版者
- 埼玉大学大学院人文社会科学研究科
- 雑誌
- 博士論文(埼玉大学大学院人文社会科学研究科(博士後期課程))
- 巻号頁・発行日
- 2018
本研究の課題は、戦前・戦時期の国債・株式市場の利回り・価格データを整理した上で、現代のポートフォリオ理論に基づく国債・株式パフォーマンスインデックスを算出し、当時の金融市場を再評価することである。このインデックスは、国債市場のリターン・リスク等(月次)を明らかするGovernment Bond Performance Index(GBPI)と、同じく株式市場についてのEquity Performance Index(EQPI)から構成されており、戦前・戦時期の投資成果を示すものである。算出にあたっては、戦前・戦時期特有の金融制度や仕組みを反映しなければならないため、原データに各種の修正を施す必要がある。 近年、金融史・経済史研究やファイナンス理論研究において、戦後だけではなく戦前・戦時期の国債・株式市場全体の動向を定量的に把握する重要性が指摘されている。だが、現代とは明らかに異なる戦前の金融市場構造を、市場データに反映させる困難性が伴うため、国債・株式の投資成果についての探求は進んでこなかった。確かに、一部の個別銘柄データを用いた戦前期の市場動向把握は試みられてきたものの、市場全体の動向が反映できないという問題点が残されたままであった。たとえば、三分半利債が大量発行された戦時期には、それまで売買が活発に行われていた甲号五分利公債や第一四分利債が国債市場の指標として適さなくなった。また、株式市場の指標とされてきた東京株式取引所の株価は、1930年代から重化学工業の比率が高まる株式市場の動向を代表しなくなったのである。 特に、国債市場では、低利借り換え懸念などの要因から、利率の違いによるイールドスプレッドが存在しており、1936年には利率の違いによる利回り逆行現象が発生していることから、特定の個別銘柄ではなく、広く国債全銘柄を対象とした指標が構築されるべきである。さらに、株式市場では、わが国特有の株式分割払込制度による新株権利落ちや払込修正についての検討が置き去りにされるとともに、投資成果にとって重要な配当によるリターンが無視されてきたことを不問に付すことはできないだろう。これらの問題点を解消するために算出したのがGBPI、EQPIであり、戦前・戦時期の国債および株式市場の投資成果を代表する指標として精度の向上と、当時の市場構造と市場参加者の行動とを再評価する際に相応しい指標になることが期待される。 GBPI、EQPIにより算出された戦前・戦時期(1924年6月から44年11月まで)の市場リターン(年率換算)は、国債5.71%に対して株式6.92%となり、リスク(年間)は、国債2.04%に対して株式16.39%であった。現代ポートフォリオ理論に示されるリスクとリターンのトレードオフ関係に沿った結果となったが、 30年代前半までの市場リターンは、国債が株式を上回ったものの、30年代後半以降は株式が国債を上回ったことが明らかになった。そのため、リターン水準という側面からは、戦時期の株式市場は低迷したと言い切ることは難しいと言えよう。一方、主たる先行研究では、「戦時期の株式市場は低迷した」としているが、この「低迷」という言葉の意図する領域が必ずしも明瞭ではないことから混乱を招いている。戦時期の企業の資金調達手段は融資が中心となり、配当も抑制されたという視点からは、株式市場は低迷したと言えるかもしれないが、投資成果(リターン)という点では相対的な優位性があったといい直すことができよう。 わが国の場合、EQPIによれば、戦時期であっても概ね企業業績(一株当たり利益)に応じた株価形成がされており、米国対比でのイールドスプレッド(株式益回りと国債利回りの格差)も著しい格差があったわけではなかった。そのため、株式市場の本格的な機能低下は、各種政府系機関による株価維持政策が実施され、クロスセクションで見た銘柄間のリターン格差が縮小し、そしてリスクも急低下した 1943年などに限定されると考え得るだろう。 一方、国債のリスク水準は、1942年以降0.10%を下回り、ほぼ短期金融市場(東京コール)と同水準になったことから、戦後を待たずに国債は、価格決定機能が消失し規制金利化した可能性があると言える。主な国債保有者は市中金融機関や政府であり、株式保有者は個人や法人であったことから、政府の指示による価格統制が国債市場で浸透し易かったという背景も手伝い、政府の価格統制強化は、株式市場よりも国債市場で徹底されていたと言えよう。そのため、40年代の国債利回りは約3.7%で固定化されたが、同時にインフレ率は上昇したことから、実質マイナス金利状態に陥っていた点は再認識すべきであろう。 ところで、戦前・戦時期の国債及び株式の投資成果を把握することは、国債と株式の関係を明らかにするだけではなく、特殊な金融構造下での市場参加者の行動(資産配分)を再評価することにも貢献するだろう。マイナス実質金利状態にもかかわらず、五大銀行等が国債割当や軍需産業への融資を拡大させたのは、政府の金融統制により、金利変動が抑制され利鞘が確保されたことで業績が安定的に成長したこと、そして自己資本比率低下による財務リスク耐性の悪化を損金参入可能な有価証券価額償却による「含み益」温存により緩和したことなどが影響していたと考えられる。 民間金融機関の財務リスク耐性を確保する政策は、国債消化策などの各種政策により確認することが可能だが、1931年下期の国債暴落により民間金融機関の有価証券評価損失が巨額な規模に膨らんだことを端に採用されるようになったと推察される(特に、五大銀行の有価証券評価損益は、GBPIを算出することで推計が可能となった)。つまり、政府による国債投資・融資拡大という資金統制も、民間金融機関の業績悪化を回避する政策と共に強化されており、政府による公益追求が、民間金融機関による私益追求放棄という犠牲の下に成立していたわけではないことを指摘できうるのである。 戦前・戦時期の国債・株式パフォーマンスインデックス算出による投資成果の検証は、金融市場の構造や市場参加者の行動を再評価するための有力な手段になりうるであろう。また、戦前・戦時期における金融市場の解明は、現在の金融市場との比較を通して、今後の政策運営にも意義あるインプリケーションを与える可能性も否定できない。そのため、わが国の金融史研究とファイナンス理論研究の間に拡がる「戦前日本の金融市場マイクロストラクチャー研究」の沃野は、道半ばであるだけに研究の深耕が期待できると言えよう。