著者
平頼 直樹
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.97, no.5, pp.713-744, 2014-09-30

本稿では、道教史、美術史など多様な分野での妙見信仰の研究成果を踏まえながら、大内氏の妙見信仰と祖先伝説の関係を論ずる。大内氏の妙見信仰は南北朝中期までは一族の私的な信仰に留まっていたが、南北朝後期に妙見は大内氏全体を代表する氏神となった。室町期になると、大内氏は祖先伝説の体系化に力を入れるようになり、琳聖太子が祖神とされる段階を経て、次第に祖先伝説の主要な構成要素が出来上がっていった。大内氏は、道教の真武神的な妙見を象徴する幼名(亀童丸) を与えることで嫡子を琳聖太子になぞらえ、祖先伝説を家督争奪戦という現実の危機を回避するために役立てた。最後に、政弘の代で氏神(妙見) が守護神として始祖(琳聖太子) に結び付けられた上、興隆寺を中心とする妙見信仰の由緒が語られ、祖先伝説が体系化された。ここに、大内氏の妙見信仰は、領国支配イデオロギーの中核を成す、スケールの大きな信仰に変容したのである。