著者
戦 暁梅
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.105-134, 2002-04

日本文人画の「最後の巨匠」と称賛される富岡鐡斎は近代日本画壇において非常に象徴的、且つ矛盾に満ちた存在である。彼は全く東洋的な教養から出発しながらも、画面一杯に漲る力強いタッチ、原色に近い鮮やかな色彩表現、ユーモラスな筆触などの要素を混合させながら独自の画風を作り上げた。この画風は原始主義、稚拙、醜さの賛美を求める西洋の近代絵画に通じるところがある。伝統の文人画から出発し、文人画家の道を貫いた富岡鐡斎は、何を求めてこのような画境に至ったのか。今までの鐡斎の藝術観に関する研究は殆ど彼が文人画の一般論を語った幾つかの資料をまとめたものであるが、あの近代的な画風を連想させる鐡斎自身の独自な芸術観はなかった。この小論は、今までほとんど見落とされてきた鐡斎画の賛文を主な手がかりとして、改めて画家富岡鐡斎の藝術観を検討する試みをしようとするものである。賛文の分析を通じて、伝統からの逸脱、画風における「痴・奇・拙・醜」の追求、自我と「心」の重視、遊び心などが鐡斎藝術観の大きな特徴として浮上し、これらの特徴が個性溢れる鐡斎の画風の根底にあることが明らかになった。伝統文化の中から新しい表現の方法を求めて形になった富岡鐡斎の藝術は、西洋様式の取り入れに焦る日本の美術界に日本画、文人画を発展させるもう一つのあり方を提示した。また、印象派や後期印象派が西洋の近代美術の発端となったのと同じように、鐡斎は文人画の分野を超えて、日本の近代美術において大きな役割を果たした。文人画の伝統を受け継ぎながら、その中に潜む正統に反する部分を大切にし、これをベースに築き上げや豊かな近代感覚に、鐡斎藝術の最も大きな意義がある。