著者
斎藤 理香
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.214-226, 2019-12-31 (Released:2019-12-31)
参考文献数
11

1980年代以降に発表された「反省的女性史」は、婦人運動家や思想家、さらには銃後の役割を担った女性たちの戦争協力という加害性をあぶりだすことを可能にした。本論は、そういった加害性から導かれる、戦争への「主体的」「能動的」と目される態度や行動の意味を「国民化」状況、すなわち個人に「権力」が及ぼされる状況において、「中動態」という概念を導入して検討した試論である。「中動態」とは、言語学で用いる能動態―受動態という対立概念が成立する以前に存在していた、能動態と対をなす概念である。中動性は、近代における行動基準として自明とされる主体性や意志の介在しない行為や事態において見出される。この概念を用いることによって、戦前・戦時のフェミニスト、一般の女性、支配者の間で、戦争責任の質的な分別が可能になる。ただし、中動性が女性たちの戦争責任を免罪するわけではないことも併せて提唱したい。
著者
斎藤 理香
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.124-137, 2018

<p>山田わか(1879–1957)は、日本最初の女性による「文学雑誌」と、かっこ(「」)付きで紹介されることのある『青鞜』(1911–1916)で翻訳や文学作品を発表し、後に婦人問題評論家としての地位を築いていった。今回は、その執筆活動の最初の頃に、わかが同じ『青鞜』に掲載した短い小説「田草とり」(1914年4号)、「女郎花」(1914年12号)、「虎さん」(1915年2号)を紹介する。これらの作品は、女性の自己決定を阻む問題に深く切り込み、時代を超えて読み継がれる力をもつキャラクターを描いた作品とは言えず、また人物像や状況の書き込み不足もうかがわれる。小説はわかの本領を発揮する分野ではなく、その後に書かれたエッセーや評論へとつながる発展への一段階という役割を担ったと捉えられる。</p>
著者
斎藤 理香
出版者
現代日本語研究会
雑誌
ことば (ISSN:03894878)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.15-16, 2018-12-31 (Released:2018-12-31)
参考文献数
3