- 著者
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斎藤 義弘
- 出版者
- 一般社団法人 日本考古学協会
- 雑誌
- 日本考古学 (ISSN:13408488)
- 巻号頁・発行日
- vol.8, no.12, pp.147-155, 2001-10-06 (Released:2009-02-16)
- 参考文献数
- 3
宮畑遺跡は,古くより縄文土器の散布地として知られていた遺跡であるが,1997年度に実施した福島工業団地造成に伴う発掘調査で,柱痕の直径が約90cmを測る縄文時代晩期の掘立柱建物跡や数多くの縄文時代中期の焼失住居跡が発見された。1998~2000年度に福島市教育委員会が実施した確認調査で,縄文時代晩期の掘立柱建物跡と埋甕で構成される集落に加え,縄文時代後期及び中期の集落跡がほぼ同じ区域に存在することが明らかになり,各時期の捨て場も集落の西端に形成されていることが確認された。縄文時代晩期の集落は,大洞BC式から大洞C2式を中心とし,掘立柱建物跡が環状に巡り,その外側に埋甕群が伴う。掘立柱建物跡は建て替えが行われ,掘形は1m以上を越える深いものが多い。竪穴住居跡は掘立柱建物跡に比べて少なく,墓坑の位置は確認されていない。縄文時代後期の集落は,後期前葉から後期後葉まで確認されているが,後期後葉の集落様相は現時点では明確でない。縄文時代後期前葉には敷石住居跡を伴う集落が形成され,竪穴住居跡及び土坑群が遺跡の南半で確認されているが,配石墓は確認されていない。縄文時代後期中葉には,後期前葉より広い範囲に集落が展開しており,墓坑の可能性がある土坑が竪穴住居跡に近接して確認されている。縄文時代中期の集落構成は明確につかめていないが,大木9式~10式の竪穴住居跡が確認されている。竪穴住居跡に占める焼失住居跡の比率が高く,焼失は廃屋儀礼等の当時の風習に起因する可能性が高い。焼土と炭化材の検出状況から,屋根構造は土屋根であったと考えられるが,焼土がブロックで厚く堆積するなど,これまでの調査で報告されている焼失住居跡とは異なる燃焼状況があったと考えられる。宮畑遺跡は,縄文時代晩期の集落形態や縄文時代後期前葉における敷石住居跡の受容,それに縄文時代中期の竪穴住居の構造と風習など,縄文時代の社会構造を考える上で貴重な情報をもたらす遺跡であるといえる。