- 著者
-
日下 英之
- 出版者
- 桜花学園大学
- 雑誌
- 桜花学園大学研究紀要 (ISSN:13447459)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.177-194, 2002-03-31
江戸時代における将軍の上洛は,幕初と幕末に限られている.幕初においては,初代家康・2代秀忠・3代家光に限られ,幕末においては14代家茂のみである。慶喜は家茂の将軍後見職としての上京はあったが,15代将軍としての上洛はなかった。幕初3代の上洛については,「江戸初期における将軍の上洛」として発表したが,ここでは幕末における将軍上洛の状況を,将軍後見職としての慶喜の場合も含めて考察した。上洛路は陸路の場合,江戸を発って東海道を西上するのが一般的であるが,その道筋は尾張で幾つかに分岐する。七里の渡しを渡るか,佐屋路あるいは美濃路の陸路をとるか。幕末の上洛はそのいずれを通行したか。その通行に際して,沿道諸村はどう対応したか。本稿はこれらの問題について論述した。